納得できない
(2度目の投稿です) ※答えて欲しい事が2つあります。
子供の49日が終わりました。 その次の日が母の命日(18年目)でした。
不思議な事に、
息子がお腹に出来た時→母の余命宣告。
息子の出産後→母が他界。
息子の49日→次の日が母の命日。
と、何かあるのかな? なんて思ったり、
今頃 母と再会できたかな?
と思う事もあります。
でも、そう思えば思うほど、
「じゃー何故あの時、息子を守ってくれなかったのか・・・」
「仏様やご先祖様、天国にいる母や親しい人達、なぜ息子を助けてくれなかったのか…?」と思ってしまいます。
よく「あの世から心配して助けてくれたのかも・・・」と、
不思議な霊体験を聞いたりしますが、
何故 息子は助からなかったのでしょうか・・・。
何故、息子なんでしょうか?
そんな事ばかり考えてしまいます。
それと最近ですが、もの凄く落ち込む時もあれば、
何にも無かった様に過ごしている時もあります。
まるで、自分に降りかかってきた事の重大さに気づいていないかの様に。
でも、必ず襲ってくる “息子が一生戻って来ないという現実”
が凄く不安でたまりません。
心が落ち着けるお言葉、前向きになれる考え方、気持ちの持ち方など
ありませんか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一緒に語り合い、一緒に涙しながら、いつまでも親子であり続けて
前回の質問も読ませてもらいました。突然、愛する人を失うことは、自分の身を裂かれるような思いですよね。
痛かっただろう身体を想うと、息もできないほどに苦しくなりますよね。毎日 泣いておられるだろう あなたを想うと、堪らないわ。
命を見ていきますと、不思議と繋がりがあるようにも思えますよね。きっと私たちは、無数の網目のような縁で、亡き人を思い出していくのでしょう。息子さんとお母さまだけでなく、たくさんの命に繋がる先祖がいてくださいますから。どなたかの縁が、今の縁と重なるかのように思えるときもあるでしょう。それは、きっと浄土(仏さまの世界)にまで繋がって、お会いされていることでしょう。
何で助けてくださらないのか、そんなふうに問いたくなるほどに、まだ行かないでほしかった わが子ですよね。気持ちのやり場がなくて当然だわ。因果といって、そこに至るまでの原因があります。死亡事故が起きるほどの時間や場所や衝撃や力などが、身体に及ぼす条件として揃ってしまった。この世は、何が起こるかわからない、思い通りにはいかない、無常の世であると、思い知らされますね。本当に苦しいことですね…。
また、あなたの気持ちの揺れに、自分では理解できない反応もあるかと思います。例えば、喪失感からくる精神的・身体的反応が起きます。私がケアをしている人の中には、自分の生活を外から観察しているように感じる離人感や、意識や記憶・思考・感情などが分断されるような解離が起きる人もいました。
あまりにも深い悲しみなのです。心や身体に反応が出ても、自然なことだと思っています。あなたの辛さを、どうか一人で抱え込まないで。吐露する場・相手と繋がりながら、心のケアをしていきませんか。
ハスノハのオンライン相談もあります。30分ずつでも、定期的に、息子さんのことや大切な亡き方々への想いを言葉にして、自分の気持ちと向き合っていきませんか。息子さんを想って、名前を呼んで。一緒に語り合い、一緒に涙しながら、いつまでも親子であり続けましょう。
手を合わせるそばに、大切な方が、いてくださっていますよ。
これからも、ずっと。
合掌
一年は365日しかありませんので誰かの誕生日と誰かのご命日が重なることは必ずあることですから結び付けない方がよろしいでしょう。もし、仏様神様、ご先祖様が階段から転んでしまうようなことでも守ってくれるというのであれば、世界中の人々が無傷で過ごせて、保健室も救急車も不要なはずですが、残念ながらそういうことはありません。ですが、先人様、故人様、先祖様方、諸天善神、諸仏諸菩薩様が「何もしてくれない」ということではありません。人は人に影響され、作用される生命体。人は人の良い働き、神仏のような素晴らしい作用に共鳴することで、神仏と同等の働きになることはすでに世界各地の偉人たちが実証済みです。
また、人は悪影響にも影響を受けるものです。だからこそ、犯罪や不正や酷いことも起こってしまう。だからこそ、神仏のような尊い働きがどんどん世界中で活性化されて後進国のスラム街のような治安もルールも存在しないような世界が減っていくべきなのではないでしょうか。
日本であっても世界各地の先進国と言われる国でもそうです。
真の豊かさとは心の豊かさであり、悲しい事や痛ましいことが極力起こらないように言葉や心や行動をより良い方向へを向けていくことです。
お子様が不慮の事故で先立たれてしまったことは本当にかなしいことですね。
その悲しい状況は帰ることはできないとしても、せめて少しでもお心を辛い状況にとどめ続けないようになさってください。
心を支える癒し、救い、導き、教えは存在します。
その教えの導き先に私たちがきちんと焦点を合わせて、正法(ただしいおしえ・みちびき)に目覚めていくことで救いが開かれてくるようになるでしょう。
お子様をこれからも自分を導いてくれる仏さまをして敬うようにご供養なさってください。故人様やご先祖様が生きている私たちを「見守って下さる」「導いてくださる」というのは我々の人間性をより高めてくださるということなのです。
生老病死、愛別離苦という哀しい現実の中で生きた地獄を見ること(そのような暗く落ち込む心理になるということ)があったとしても、そこから立ち直れる生き方が見出されることでしょう。私も同級生が何人も若くして命を落としております。
一人はバイクの事故。弟弟子もバイク事故で先立ってしまいました。彼らとの縁を通して、少しでも世の中が良くなるように努めることが供養だと思っております。
質問者からのお礼
中田住職様
早速のお返事ありがとうございます。
事故は“不運が重なった”
霊的な助けは起こらない
深い喪失感からくる“心と身体の反応” という事ですね。
色々と考えて下さりありがとうございました。
丹下住職様
お返事ありがとうございます。
心を支える癒し、救い、導き、教えの存在を信じ、自分で見つけられるよう
息子を供養していきたいと思います。