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他人との比較、劣等感をなくしたい

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こんにちは、10代の学生です。
初めての投稿ですが、アドバイスを頂きたく相談させてもらいます。

僕は生まれてこの方他人との比較ばかりしてきた人間でした。テストの点などなど、自分の能力が何かの数値を指標に計られると、絶対に負けないように努力してきました。

しかし、いくら頑張っても必ず上には上がいます。事実としてはそれを分かっているはずなのに、どうしても自分より秀でた人を見ると、辛くなります。

高校生活は勉強ばかりで過ごしてきたのですが、他に高校生活を楽しんでいる人を見ると、自分が情けなくて仕方ありません。特に、そんなに努力していなさそうなのに幸せそうな人を見ると強烈な自己嫌悪に陥ってしまいます。

また、自分の努力のモチベーションはただの負けず嫌いだったことなのだと気づいて自分に呆れてしまいます。

楽しく人と話していても、勝手にその人への劣等感を持ってしまい、上手く話を続けることができません。

そして、これもまた数値でしかないのですが、僕は身長がとても低いです。ガラスなどに映った自分の姿が見えると気持ち悪くなって、いちいち余計なことを気にしてしまう自分が嫌で最近は外出する気力もありません。

拙い長文失礼致しました。このように自分は優れた人との比較を止められないのですが、何かアドバイスがありましたらご回答いただけると幸いです。よろしくお願いします。

2022年10月22日 21:43

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を賭けるモノが見つからないことにこそ焦るべき

10代の悩みにありふれたもので、しんさんだけが特別に悩んでいるということではないと思います。
幼稚園から始まる学校の制度の中ではどうしても、成績などの数値で児童生徒を輪切りに順番付けをしてしまいます。私は中学校、高等学校、大学で20年くらい講師やティーチングアシスタントとして授業にかかわり成績付けした経験がありますが、大学の学部生くらいまでは実際の能力差などというものはほんのわずかなものでしかないというのが実感です。そのわずかの差をいろいろな仕掛けで引き延ばして順番をつけざるを得ないのです。極端なことを言えば、評価の仕掛けを工夫することで100人中の20~30番くらいの上下はいくらでも操作できます。
ですから、そんな便宜上の上下優劣に必要以上にこだわって心配することはありません。「上には上がいる」というのはその通りですが、誰もが「上には上」のさらに上にならなければならないということはありません。
大学までは入試という制度がありますから、どうしてもある程度の点数を気にかける必要がありますが、大学や他の専門的な学校に進んでしまえば、もうクラスの中の何番、学年の何番ということにほとんど意味はありません。
しんさんもいよいよこれから全体で何番目という仕組みでは評価され得ない勉強の世界に入っていかれることになるでしょう。そこでは自分を賭けて勉強したいモノに向かって、そのために必要な力を身につけていくことが必要になります。
念願の大学に入学して燃え尽きてしまう人のほとんどは、この自分を賭けるモノが見つからない人です。上位5パーセントの成績をキープして、難易度上位5パーセントの大学に入って、さてそこで何を勉強するのか、全然見つからないという人は少なくありません。
将来の職業にするかしないか、自分に役立ちそうかそうでないか、好きか嫌いか、視点は何でもいいと思いますが、自分を賭けて勉強の対象にできるモノが見つかった人が本当に他が簡単に真似できない能力を身につけていくのだと思います。
社会学者のマックス・ウェーバーの「職業としての学問」という本は参考になると思います。直接的には学者になりたい人について書かれた本ですが、順番付けの仕組みが蔓延りすぎた現代では、様々の輪切り順番評価に苦しんでいる人に広く参考になる本だと思います。
薄い文庫本がありますので、未読であれば一度読んでみて下さい。

2022年10月23日 9:00
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有り難し
おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
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質問者からのお礼

ありがとうございます。「職業としての学問」、見てみたいと思います。

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