「産まなければよかった」気持ちがとれない
大変罰当たりな内容で本当にごめんなさい。
産後のこころについて、2度目の相談になります。
前回、「お母さん」としての子育てが死ぬほど嫌という内容で相談させていただきました。
おかげさまで「お母さん」のハードルはかなり下がり、できることをしよう、一緒に家族として過ごすんだ、と気持ちが楽になりました。
しかしその後、「可愛い盛りの自分の子どもを、可愛いと思えない」「妊娠前の自由な生活がいい」そして「子どもを産まなければ良かった」という思いが消えず、しこりのようになってしまっています。
まだ周りは独身だったり子どもがいなかったりと、とても羨ましく感じてしまう自分がいます。ずっと続けたかった仕事をやめなければならなくなったのも一因です。
こんなこと思うのは世界中のお母さんの中でたった1人だろうな、産んだ子を育てたくないなんて、生き物以下だ、最低な人間だと思い、自分でも生きてるのが苦しくなります。そしてなにより自分の子どもにも本当に申し訳ないです。もう自分で自分を死刑にしたくなります。
でもこういう考えになったのは産後に「うつ」と診断されてからで、逆に出産前は「子どもに愛してるよ、と言葉で伝えられるお母さんになりたい」「何があっても味方をしてあげたい」と思い、お腹にいる赤ちゃんのためにかなり我慢強く妊娠中を過ごしました。
でもいざ産まれてみて、こんな気持ちになってしまうなんて思ってもみませんでした。うつになったのが関係しているのか、今は全てにパワーが出ません。
元々初めてのことにはかなり身構える、そして気が小さいタイプなのですが、どちらかというと、優しい、明るいと言われる方が多かったです。
そんな自分はいなくなってしまった、自分が最低な人間に変わってしまった、と思うのも辛いです。
なによりも「産まなければ良かった」という最低な気持ちを手放したいです。どうせ子育てするのだったら、愛情をもって私自身も元気な状態でやりたいです。
こんな私はどのように考えればいいでしょうか。
こんな内容で恐縮なのですが、心も折れかけているので、お言葉をいただけると大変ありがたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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苦しみは無くならないのが真理
一切皆苦、一切行苦という言葉があります。
お釈迦様は、生き物から苦しみが無くなることはないという真理を発見されました。
つまり、お母さんになってもならなくても何らかの苦しみがあり、仕事を続けていても続けなくても何らかの苦しみがある。
ただ、苦しみの形が変わっていくだけ。
あなたが仮に中絶をしていたら、やはり「産んだらよかった」という苦しみに襲われたかもしれません。
産まなきゃ良かったと悪態をつくのは、脳ミソのお遊びだと思って、たまに考えてしまうのは問題ないと安心してくださいね。
心は無常。
浮かんでは消えていく妄想雑念や感情を、客観的に見るもう一人の自分を持ちましょう。
お母さんは添い寝してくれるだけでいい
たんぽっぽさん、はじめまして。質問を拝読しました。
子どもにとってお母さんはどんな存在だと思いますか?
あふれるような愛情をかけてくれる人?
いろいろと世話を焼いてくれる人?
きっと子どもは「お母さんはいてくれるだけでいい」と思っているものです。
添い寝してくれるだけでいいのです。
子どもを可愛いと思わなくてはいけないというのは思い込みです。
仏教では「執着を手放す」と説きます。
子どもを可愛いと思わなくてはいけないを手放すのです。
とはいえ、急にできないので布団を並べて親子で川の字になって昼寝をしてみましょう。たんぽっぽさんも眠りが浅くなっているでしょうから。
質問者からのお礼
一切皆苦、心は無常。そんなふうに捉えればいいのですね。
どちらにしろ苦しみはある、そう思うと少し気が楽になります。
このたびはお言葉をいただきありがとうございました。
このたびはご回答くださりありがとうございました。
可愛いと思わないといけない、を手放そうと思いました。
「いてくれるだけでいい」その言葉に救われましたし、こんな自分でもいいのか…と思いました。
まずは死なないでお母さんとして「いる」存在になろうと思います。
ありがとうございました。