過ちが多い人生自分が情けないです。
完璧な人生とはどんな人生でしょうもし仮に完璧な人生があるなら私は完璧から程遠い人生を歩んできました。
小学生の頃私は過ちばかりでした。
今思えば私は他の人よりも苦手な事が多く人の気持ちを考えたりするのが苦手だったと思います
そのせいでたくさんの人を傷付けてきてしまいました,お恥ずかしい話しですが中学生の時ふと昔の事を振り返ることがあり自分のしてしまった過ちに気付き傷付けてしまった方々に謝罪し許しをもらいました。
私は昔に比べ変わったと思います,そう思うと過ちがあったおかげで変われたんだと必要なことだったのかなと思いますがやはり自分が許せません
はっきりとした内容を伝えず友達に相談すると「小さい頃は誰しも未熟だからしょうがない今の貴方は優しい人だから」と優しい言葉をかけてくれました。
過ちを思い出すと家族や友達に申し訳なくなり凄く恥ずかしい気持ちとやるせない気持ちになります
過ちに対しけじめをつけ真っ当な人間として生きている人は幸せに生きても良いのでしょうか
それともやはり過ちにのまれこのままずっと悩み続けながら生きていくのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
完璧だって完璧じゃない
さて“完璧”の語源は藺相如(りんしょうじょ)という2000年以上前、中華の趙という国の人です。
この人は圧倒的な強国であった秦からの無茶な要求を、自ら敵の国の王宮に乗り込んで弁舌と気迫で突っぱねて、なおかつ生きて帰ってきたという伝説を残しました。
もちろん、これこそが“完璧”の元になった話ですが、彼はその秦との戦争中に病に倒れ、そのせいもあって超は大敗を喫してしまいます。
それは後々国が亡ぶ原因になるほどの負けでした。
完璧の語源の人ですら、“完璧な人生”など送っていません。
ちなみにこの藺相如という人は、上記の伝説を残した功績で大臣に出世したのですが、それを妬んで同じ国の大将軍から悪口を言われていました。
しかし、大将軍の実力を知っていた藺相如は、敵国に付け入るスキを与えないように、彼と仲違いをしないように気配りをし続けたのです。
その心遣いに感服した大将軍は藺相如に裸(当時の中国で土下座のような意味)で謝ります。
しかし、それすらも藺相如は許し、二人で国を守っていこうと声をかけたのです。
このエピソードは“刎頸の交わり”
お互いに首を切られても惜しくない友との交流という意味の言葉になりました。
偉大な将軍ですら、自分の嫉妬心や汚い心を持ち、それを許されて“完璧”の友達となったのです。
凡夫である私たちの人生に過ちが多いことなど当たり前ではないでしょうか。
私たちに必要なのは、過ちを裸で謝る心です。
出てくる人がわからないならまずキングダムという漫画を読んでください。
それでは!