死ぬ勇気も生きる力もない。
前回ご質問させて頂いた続きというか重なる部分があります。
22歳の誕生日前日母の自死。
母は直前あの夫婦(姉と姉の旦那)に言われた事が忘れられません死にます。と残していました。
母の死から1ヶ月経たず、母を死に追い詰めた姉が亡くなりました。
詳しいことは分かりませんが病死だとの事でした。
周りからは母が連れていったんだ、長女で初めて出来た子供だから大切で大好きだから連れていったんだと言われました。
そんな事を言われて悲しかった。
私もお母さんの娘。私を連れて行ってよ。私をママのそばにいさせてよと思いました。
本当に母が連れていったんでしょうか。
死んでしまいたい、消えてしまいたい。お母さんに会いたい。
毎日毎日死にたい消えたいママに会いたいそう思っていても、朝が来て夜が来る。
私には死ぬ勇気すらない。それなのに生きる力もない。
お母さんにあの時声をかけられなかった手を取ってあげられなかった温かい言葉で温かい存在で包み込むことが出来なかった。未だ後悔でいっぱいです。毎日母の分まで生きようと過ごしていますが、でもそれすらも疲れてしまった。
薄情で人としていけないけれど、正直姉が亡くなったと知った時悲しいという感情はうまれませんでした。もうこれから先姉に苦しめられる事はないんだとホッとしました。
でもそれと同時に、1度は目の前で母に手を合わさせたい、母にごめんねありがとうと伝えて欲しかった。
止められなかった自分も憎いけれど、それ以上に姉が憎い。償ってほしい。一生許せない。母が亡くなってそれだけの感情で過ごしていました。
そんな姉まで居なくなり気持ちのやり場がなくなった気がします。
毎日苦しくて辛くて死んでしまいたくなります。
姉ではなく私を連れていってくれたら良かったのにな。
どうしてよりによってあの人を…と思ってしまいます。
死ぬ勇気もない、生きる力も湧かない私はどうしたらいいんでしょうか。
簡単に死ねるのならいいのに、いざとなると怖くて出来ない。
母の死との向き合い方、大嫌いな憎い姉の死との向き合い方が分かりません。
父と話していた時ふと、父私妹3人でもう死んでしまおうかと思った事もあったと。
それを聞くと、母を守れなかった事で父の笑顔、生きる気力までも奪ってしまったとまた後悔に押しつぶされそうになります。
下手くそな文ですがどうかお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
苦しいなら、悩むなら、一緒に悩もう。あなたのそばにいたいわ。
前回の質問も読ませてもらいました。
お母さまが苦悩の中で精一杯に生きぬかれたこと。家族なのに、責め追い詰めることしかできなかったこと。そんな姉を、母を、一番そばで見てこられ、どれほど悩ましかったことか、どれほど寂しかったことか。分かり合える家族の形を願いつつ、お母さまの一番の理解者であり その命を支えてこられたこと。あなたの存在は、お母さまの希望だったと思うわ。
だからこそ、自死という形で終えられたこと、別れがきてしまったことが、あなたには大きな喪失感となっておられるのですよね。
私も大切な人を自死により亡くしています。だからこそ、あなたを想うと堪らないわ。
亡き人を想わない日は、無いわよね。そして、死の決断を尊重したにもかかわらず、なぜ…生きていてほしかった…私がもっと…ちゃんと関われていたら…そばにいたら…守ってあげたかった…何が正解だったの…会いたい…
そんな複雑な気持ちがグルグルするのではありませんか。お母さん お母さんと名前を呼んで、その存在を求めてしまいますよね。同時に、なぜ家族が傷つけ合わなければならなかったのか、死が死を招いた(連れて行った)と周りから言われなくてはならないのかと。あなたが今も傷ついておられるのだと思うと、そばにいてあげたいと思うわ。ひとりきりにならないで、ひとりで背負わないで、抱え込まないでと、抱きしめてあげたいよ。
前向きに「生きたい」と思わないのでしょ?生きたくても生きられなかった人を想うからだよね。悩みながらも、一緒に生きていたかったよね。この世を終わらせることで、苦しみから解放された生き方だったのであれば、私もそれでもいいと思ってしまうのではない?
一人だとグルグルもがいてしまうわ。
だから、苦しいなら、悩むなら、一緒に悩もう。あなたのそばにいたいわ。あなたの手を掴んでいるからね。こうして繋がっていましょう。
あなたの誕生日も、お母さまのご命日も、大切な人を想うときに、そばにいさせて。一緒に話をしましょう。
今まで、よくお母さまを支えてきたね。よく一人で寂しさや辛さに耐えてきたね。苦しい時は、わかってくれる人と繋がっていましょう。迷惑なんかじゃない、あなたのそばに、私もいたいのよ。
いつでも、ハスノハにおいで。
オンライン個別相談もあるからね。
あなたの気持ちのそばにいるからね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
自死という形になり、法要して頂いた父方のお坊さんには自殺なんて。と色々言われました。”精一杯生きぬかれた”その言葉で私も母も救われた気がします。
この喪失感は一生無くなることはないでしょう。
お坊さんがおっしゃっている本当にその通りです。沢山の複雑な気持ちがグルグルします。
今やっと母の気持ちがわかる気がします。
家族だから、家族なら、信じていた私に、死なずに一緒に生きていけるよう頑張ろう一緒に悩んでいこうと言って欲しかったのかもと。
毎日毎日お母さんと呼びかけても返事もなければお母さんという存在は近くにありません…
おっしゃっる通り生きたくても生きられなかった人を思うからこそ、生きたいと思うことが出来ません。
周りは生きなさい。そう思ってはいけないと当たり前ですが否定ばかり。
本当に本当にお坊さんのおっしゃっる通りなんです。
一緒に生きていきたかったのに出来ない。
私もそれでいいと思ってしまう。
毎日悲しむ父を支えること、自由奔放な妹を陰ながら支えていくこと、精一杯です。
私はひとりぼっちな気分。父も私を支えてくれているはずなのに、私の隣には誰もいない、父に心配かけないよう父の前では泣かない笑顔でいる。そんな生活にも疲れていました。誰も分かってくれない、母のあの姿を見た私。フラッシュバックして苦しくなること、自分を責めていること、母が居ない寂しさ全部全部少しも分かってくれないと思ってしまう。きっと少しは父も分かってくれてると分かるんですが…
お坊さんが私の手を掴んでいてくれる、そばにいてくれる、私の誕生日、母の命日そばにいてくれる。迷惑じゃない。そう思えばまた今日1日を生きぬいて明日を迎えることが出来ます。
お坊さんに頂いたお言葉、1つ1つ大切にします。
本当に本当にありがとうございます。