美、芸術を愛する心
私は十年以上前でしょうか、ずいぶんとこじらせニヒリズムにずっと苦しめられました。
生い立ちから、何でもかんでも疑って、ここにいる私の存在もよくわからなくなって頭の中ぐるぐる。
そんなあるときアメリカの芸術家が孤独に地下室でつくり続けた一連の作品と、その作品に捧げられたオマージュの詩の美しさに心を鷲づかみにされ、
この美があれば孤独で、否定されどおしだった人生も、たとえ人間存在に意味がなくてもいい、救われる、という思いを抱き支えになりました。
私自身、小説をはじめとした文学を学ぶ大学の創作コースで研鑽し、自分を、誰かを救えないかと思っていました。
そんななか、スマナサーラ師の動画を拝見していて師が文化、芸術の意味を問われて、私にとってはそれらは子供のおもちゃみたいなものという趣旨のことをおっしゃられました。
美にしても一つの執着、ということなのでしょうか?
芸術も、短期的に、ということなのかもしれないのですがその他の苦を紛らわすというか、得られない愛とか得られない社会的成功とかを相対化してそれらからの苦しみからは解き放ってくれるのでそこに固執しなければ歩いてゆく杖になるのではとも思うんですがどう考えたらよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どのように捉えるかは、人により違いますね。だから面白い
真意は、どこにあるのでしょうかね〜
おもちゃのようという喩えが、あなたには執着と感じたのですね。
執着があるから、励みになったり支えになるときもありますし。執着が、周りを見えなくしてしまうこともありますよね。「執着」も、捉え方一つでいろんなエネルギーを生みますね。
子供のおもちゃっていう表現。いろんな創造性を生み出せるもの(秘めた世界)、手に取る楽しみが湧き起こる、っていう未知数の可能性を感じましたよ。私はね。
やはり、どのように聞き、どのように捉えるかは、人により違いますね。だから、面白いんじゃないかしら。人間って。
何なのだろうって考えているときが、答えを出すより、楽しんでいられる時間かもしれませんしね。
私の回答も、答えのようで、私の感じたままに〜だったりするのです。
あなたの「どう考えたらいいのだろう」は、私にも大切な問いになりました。
ありがとうございます(*´꒳`*)
質問者からのお礼
また勇気のいただけるお言葉をありがとうございます。
執着って
もっと自分の心安らぐ、のびやかでいられる捉え方もしてみたいと思います!
最近、子供のころの自分をよく思い浮かべます。
怖がらなくても不安にならなくてもいいよって話しかけるんです。お父さんやお母さんに分かってもらえないのは君が悪いんじゃないよ、って。
自分の好きなものも自分自身も誰かに証明しなくたって価値があるって。
もっともっと自由にしなやかになりたいなと思ってます。
まずは、こうしなきゃいけない、こう考えなきゃいけないって、思うのをやめてから。
誰かがこういった、でなくて、自分にとってどんな考えが一番幸せかなって考えていきたいです。
中田ご住職のお言葉はまっすぐで、僕のいじくりまわして頭の中でこんがらかったところを解きほぐしてくださいます。
ありがとうございました。