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介護職の悩み

回答数回答 3
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介護職ですが利用者の高飛車な言動が辛くて虐待しそうになります。働かせてやっている、下の世話しか出来ないんだろうとか。事務所もほぼ同意見で現場と温度差が激しいです。認知症だから仕方ないと諦めるのもとても悔しいのですが…虐待はしたくないのです。怒りを手放すにはどうしたらよいでしょう?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仕事は辛いものです。

 サトさん。介護の仕事お疲れ様です。ワシも副業で介護の仕事をしておりますが、楽しいことより、辛いことの方が多いです。
 そのような暴言を吐く利用者さんはどこの施設にもおります。そもそも、仕事をしているとお客さん、参拝者、施主必ず、何かしら暴言を受けることはあります。そういう時は必要以上に関わらないことが大切であり、比較的関係が上手くいっている職員、スタッフなどが対応することをお勧めします。ワシは本当に困った時を見計らって声を掛けたり、介助をしたりします。上手くいかないことやタイミングを外したことも多々ありますが、お世話するものとして状況を見極めることも必要な能力です。ただ、やみくもに接しているとこのような状況になると思います。特に他の利用者さんに迷惑を掛けてないなら、見守ることも大切な介護の一環です。そもそも長年色々な人間関係で苦労し、言いたいことも言えず、したいことも出来なかった時代を生きて来たであろう人たちの最後のシェルターですから、朝、8時ごろ朝食でも時間を守らないことに何の意味がありましょうか?修行や寮生活をしているわけではありません。無理やり子供じみたボール遊びや歌など年上に建康に良いからとさせるなんて屈辱以外何がありましょうか?その利用者さんはどんなことにストレスを感じているか?暴言というが、家庭でも同じような言葉使いだったのではないかと考えませんか?仕事柄荒っぽい言葉使いを使ってきた人に今更、この暴言を直しましょうと言われても無理なことも多いです。自分に気を許してくれたと思い前向きに接しましょう。現実的に認知が低下すると状況も変わるので時間との勝負でもあります。一番は利用者さんのペースに合わせるしかありません。自分に言いきさせる意味でも・・・。
 職員同士の連携も上手くいって無いのも原因ではないでしょうか?何でも自分でやろうとせずに人に頼るのもいいのではないでしょうか?仲の良い職員同士から連携を深めていき、協力をする大切さを広めていくのが一番介護職で必要なことです。これはほとんどの施設で行われておりません。人をお世話する介護職の方々なら職員のお世話も同じように大切な事なのに事務の方々は本当に残念でありません。僧侶のワシがお世話するのは利用者で無く人間、生きとし生けるものなので誰もそれも関係はありません。だから、誤解を受けやすいです。

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怒りを手放すというより考え方を変えてみては?

サトさん。介護職を頑張っておられるのですね。ありがとうございます。

私の母も現在介護職の方々には大変お世話になっております。
ものすごく大変な仕事なのに笑顔で対応されておられる姿を見る度に感動しております。
そうそう簡単に出来る仕事ではないように思えます。
忍耐力は元より人に対する深い慈愛を感じずにはおれません。
介護職をされる皆さまは本当に菩薩さまの用に感じます。

しかもサトさんは、暴言を吐かれてもそれを怒りにつなげたくないと仰られておられます。
本当に愛情深いお方であると思います。

お年寄りの暴言は感情をコントロール出来ない事もあるのか、
配慮なく凄く心をえぐる事が多いのも事実であると思います。
渾身の力を込めたイジメに感じる事も私自身多いです。(実の母からですが)

そんな時に私が怒りから逃れる秘作があります。
人によって様々ですのでサトさんに合うかどうかは解りませんが、
ヒントにでもなればと思い書かせて頂きます。

人間は生きて来る間に自分では気がつかないで人を傷付けてしまう事があります。
そしてそれは今世だけとは限りません。
何回も生まれ変わる間にそれだけ人を傷付けて来たか解らないと思います。
その集積はどこかで解消しないと、
おそらくとんでもない事をこれから先の自分の人生に起すのではないかと思います。

しかも、それらはなかなか解消出来るものでは無いように思えます。
まるで魂の外側にこびり付いたひつこい汚れのようなものではないかと私は思っています。

しかし、か弱いお年寄りから暴言を吐かれるのを、受けとめる事でその魂の上の汚れが少しずつ落ちて行くように思えるのです。
お年寄りはか弱いので暴言しか吐けません、たとえ暴力を振るっても大した力ではありません。
ですから安心して暴言を受けとめる事が出来るのです。
お年寄りの暴言は、自分の魂の汚れを落としてくれるブラシのようなものだと私は思います。

お年寄りが暴言を吐かれる度に
「ようこそ!よくぞ私の魂をキレイに磨いてくださいましてありがとう!」
と、そう思うと清々しくお年寄りの暴言に向かう事が出来るように思います。

でも、本当に我慢出来ない時はちょっと言い返すのもお年寄りのためでもあります。
頂いてばかりでは申し訳ありませんからね。^^;

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仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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素晴らしいてます

毎日毎日、誰かの為に本当大変なお仕事です、誰にでも出来る事ではありません、本当に、頭がさがります。

一生懸命向かわれていることも、伝わって参ります。

想いが伝わらない事、苦しい事、辛い事、納得いか無い事ばかりですよね。

腹が立つ、私の場合ですが、

いつもありがとう いつもありがとう いつもありがとう

ど、こごえで 言ってみてください。

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長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
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質問者からのお礼

私は傷ついた、と言い返しても良いのですね。少し楽になりました。相手は反面教師だと思って受け流すようにします。ありがとうございました。

相手を敵認識しているので無心で『ありがとう』はまだ難しいです。でも敵ではないのだと思うところから頑張ってみます。『あなたのようになりたくないから反面教師でいてくれて、ありがとう』と いうレベルです、まだ。私の考え方が固まってたと教えて頂いて楽になりました。ありがとうございました。

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