運動に執着していいか
釈尊は自己の体は虚しいものだし生老病死は必ず来るものですし執着する価値がないといってるように解釈しております。
また私は今1日8時間程度用事を作ったりして意識的に体を動かすなどをしています。
釈尊がいっているように執着で運動したところでいつかは病気になるんだし無意味だとしても出来るだけ医学が推奨するように執着的な健康な行動(ウォーキングや食事、プログラム的に体を動かす)などをしていったほうが単純に得ではないでしょうか。
お坊様方のような清い心を持っていれば運動も食事も自然に健康的になるとおもいますが、今!人格的に未熟で運動ができないため、執着的な運動をしてでも奇病や早期的病気や腰痛足痛などを予防することを釈尊は実際どう仰っていますでしょうか。
人格が未熟で運動できないのが原因で病気になったとしても気にとめないということでしょうか。
ブッダの言葉(どこかの記事でブッダの言葉で体を動かすことにかまけないことと見たことがあります。)や一部動画ででてるような説法を聞いてもいまいち理解できていない状況です。
そもそもの私の解釈の違いなどがあればぜひともお教え頂ければと思います。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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メンテナンスは必要
あなたが理解されているのはまさに真理です。身体は不浄であり、執着に値しないものですね。
ただ、無常でもあり壊れ続ける身体なので、メンテナンスが必要とも言えます。
人間としての肉体は、仏教を学び実践できる素晴らしい道具(乗り物)です。
苦行のように無闇に肉体を痛めつけるのではなく、健康維持や適切なメンテナンスの一つとして汗を流すのは、悪いことではないでしょう。
また、仏教徒も娯楽を一切禁止されているわけではないし、ブッダの信者の王族達は武芸も嗜まれていたはずです。
執着は悩み苦しみの原因になりますので、運動にも執着しない方が良いのは間違いないですね。
また、娯楽のための狩猟など、不必要な殺生は避けるべきですが、できる運動をできる範囲でやれば良いと思います。
質問者からのお礼
願誉浄史さま
これ以上とないお言葉でした。
このお言葉を受けさらに進んでいきたいと思います。