hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

浄土教と阿弥陀様のお力について

回答数回答 2
有り難し有り難し 14

私の父方の宗派が浄土真宗です。私は浄土真宗の教えをよく、「これは心改めた死刑囚に対して最も有効な教えかもしれない」と思うことがあります。他の宗派では、仏性には思考・言葉・行動の全てが揃っていなくてはならないなら、せいぜい世界の幸福を祈るという「思考」しかできない檻の中の死刑囚に救いは無い…というような見捨てにも解釈できる説法をされたことがあります。私は身内に死刑囚が居るわけじゃないのですが、「心改めた檻の中の死刑囚でも罪を償う方法があるかどうか?」が、それが本物の宗教かどうかをジャッジできると本能的に予想したのだと思います。

さて、阿弥陀様はよく他の宗派では悪者扱いされています。「あのお方はあの世の管轄者だからこの世のことは救ってくれない、功徳も利益もない、阿弥陀様にすがることはただの来世に託した人生の諦めでしかない」などと言われます。

阿弥陀様は、この世でも大衆を救ってくださる方なのでしょうか? 無量寿経などの聖典にはなんと書いてあるのでしょう? 回答よろしくお願い申し上げます

2023年2月11日 3:05

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

阿弥陀如来

はじめまして、私は浄土真宗の僧侶です。無量寿経のメインはなんと言っても本願です。とりわけ第18願が重んじられてますね。簡単に言うと念仏をする全ての人々を成仏させられないならば私は悟りを開かない(如来にならない)という誓いです。私はこれを拡大解釈して別に念仏しなくても全てを救うと考えています。
あなたがおっしゃるように確かにあの世の安心を約束している文言に見えますけどね、実は違います。
人間は生まれたら必ず死にます。本能的に常に死を恐れて生きています。何故に死が恐ろしいかと考えると、もちろん生老病死と言いますから病気や怪我で痛いとか苦しいのが嫌だと言う事も言えますがそれは一時的なものですよね。それより、死んだら自分はどうなるのか?肉体が滅すれば魂も滅して無に帰するのか?生きている時の業で地獄に落ちるのか?そのような漠然とした不安が死の恐怖なのではないでしょうか。
しかし、浄土教では阿弥陀さまのお救いで必ず浄土往生出来る訳です。往生と言う言葉は往って生まれると書きます。つまり極楽浄土に往って仏として生まれる意味です。ですから浄土真宗では往生即成仏と説きます。
そして、全ての衆生が往生すると言う事を本当に信じる事が浄土真宗の信心なのです。しかし、残念ながら私たちは自分が死んだら必ず往生出来ると信じることが難しいのです。なぜなら本当かしら?と言う疑いの心があるからです。これを煩悩と言います。
しかし、もしも阿弥陀さまの救いと浄土往生を本当に信じる事ができたなら、実は今生きているこの世を幸せに生きる事が出来るのです。何故なら、私たちは常に幸せになりたいと思って生きています、死んだらどうなるか分からんから生きてる内に美味いもん食べとこう、死んだらどうなるか分からんからカラダが元気な内に旅行もたくさん行っておこう。となります。つまり、生きてる内が花と考えるのです。
それはあの世が不安心だからそう思う訳で、もしもあの世がお浄土の世界で安心ならばそんなにジタバタしなくても良いのだとなる訳です。
となれば信心をしっかり持てば、いま生きている世界でしっかり地に足を付けて生き切ることが出来るのです。
つまり、浄土真宗の根幹はこの世も幸せ、あの世も幸せと言うダブルの幸せを手に入れる教えと言うことが言えます。
南无阿彌陀佛  

2023年2月11日 7:48
{{count}}
有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
このお坊さんを応援する

個人の感想です。

こんにちは、

はじめに、私の回答が浄土真宗の模範解答というつもりもなく、出雲路派教学部の見解でもなく、個人の感想であることを先にお伝えします。

無量寿経という言葉をご存知なら、よまれたこともありますでしょうか。
お経にどう書いてあるかだけでなく、書いてあることをどう理解するかで、世界観が変化します。

まず、無量寿経の引用でいうなら、讃仏偈のもう少し後くらいかな。
『あんたは何で修行してるの?』
という問いに
『生死勤苦の元を抜く』と答えている部分があります。
死んだ人は成仏した存在。すでに救われた状態。『生死の間で悩める衆生の苦しみの元を抜く』と話してます。
苦しみの元が抜かれた状態が救われた状態かなと思います。

宮本師の回答にもある48の誓願文ですが、その末尾は『不取正覚』とあります。

『救えないなら、まだまだ一人前の仏を名乗る資格がない。』と私は解釈しています。救いを押し付けることはしてません。
18願については私は、迷える衆生に必要とされないなら、まだまだ私も一人前とは言えないな、という理解をしています。
レストランでいうところの、食材揃えてメニューも決めた、あとはみんながお店に入ってくれるだけ。こちらはお客さんの笑顔を見るために腕も磨いたし、いい食材も揃えた。
あとは阿弥陀如来のところに往きたいと声に出してもらうだけ。南無阿弥陀仏と唱えてくれたら、何なら出前もします。だけど、注文しないうちは届けられない。まず気持ちを声に出しましょう。

という感じかなと思ってます。

請願文の1番目は、地獄、餓鬼、畜生の世界をつくらんと誓ってます。それも大事だなと思ってます。

あと、阿弥陀如来のことは阿弥陀経も見てくださると嬉しいです。

ウチの寺のページにも載せてます。
鳥も口コミで阿弥陀如来推すよっ言ってます。

死刑囚については、心を改めた時点ですでに半分以上救われてるんじゃないかなと考える立場です。

参考になれば。

2023年2月11日 8:38
{{count}}
有り難し
おきもち

1973年生まれ。みずがめ座O型。1日1答を心がけます。 福井県社会福祉...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

皆様、ありがとうございます。私も、そしてみんなも、まさしく大乗でこの世もあの世も幸せに過ごしたいです

「浄土真宗」問答一覧

親より先に死んだら親不孝なのか

こんにちは 私は母親より先に死にたいです 母親が世界で一番大好きなので母親を失う悲しみを味わいたくないし、何より一人では生きていけないからです 病気で人とまともに話せないし、世の中のことを何も知らないからです 母親がいなくなってしまったら私は絶対に立ち直れません なので私は母親より先に死にます 自殺はするつもりなくて病気で死にたいです 母親にそれを話したら、「〇〇ちゃんは一人じゃ生きていけなさそうだからそれでいいよ」って言ってくれます 私を残して先に死ぬことが心配と言っていました でも一般的に親より先に死ぬのは最大の親不孝と言われています ネットでもしょっちゅう見かけます それに親より先に死んだら五逆で地獄に落ちるとか、三途の川に行くとか言われています それがとても心配です 私は一応浄土真宗を信仰していて、親にもお葬式は浄土真宗にしてって言っているのですが、地獄に落ちるのかがとても不安です ちゃんと極楽浄土に往生して阿弥陀さまに会えるように毎日、南無阿弥陀仏を唱えてるのですが、ネットとかで親不孝とか見ると不安になります 親より先に死んだら地獄に落ちますか? 親より先に死んだら阿弥陀さまの救いの対象から外れてしまいますか? どうか回答よろしくお願いします

有り難し有り難し 13
回答数回答 3

救われない予感がします

浄土真宗に救いを求めた者です。しかし、考えてみると僕は阿弥陀如来様の救いを享受する資格がないのではないかと思いました。 これまで何度も食べ物を無駄にして、嘘をついて暴言を吐き 謗法罪や五逆罪に当たる様なことまで考えていました 過去に「家は浄土真宗だから、念仏を唱えれば極楽浄土に行けるよ」 という言葉を聞いておきながら、前述の蛮行を辞めず、インターネットでは誹謗中傷や違法ダウンロード/アップロードをしてしまいした これらのことをしておいて、僕は反省することも信じることもできず、聴くべき聴聞も説法もまともに聴けません 今日でも、極楽浄土はどれ程美しい世界なのか、僕の様な罪深い人間でも、救ってくださるのかと考えておきながら 時間泥棒に邪見、嘘などの罪を犯してしまいました 今後も邪見や、食べ物を無駄にする行為を繰り返してしまったり、都合よくクリスマスや阿弥陀如来様の恩恵を受けようとしてしまうと思います。もはや救われることなどあり得ない気がします 過去にも僕の様に、阿弥陀如来様の救いを得られる身でありながら、悪事をおこなった者が破門にされたと知りました 前述の通り、僕は心から反省することも信じることもできません 阿弥陀如来様を疑い軽んじ、これを書いている間も書いた後も、何度も動画サイトに移動するほど真剣さがありません。先程も破れば地獄に堕ちる法のことを、軽んじる様なことを言ってしまいました。僕はやはり無間地獄に堕ちるしかないのでしょうか

有り難し有り難し 40
回答数回答 2

亡くなった父が救われて欲しいです

10日ほど前に父親が亡くなりました。葬儀は浄土真宗のお坊さんにお願いしました。実家には高齢の母親が1人で住んでいるため、1人でいるときに火を使うのは危ないと思い、お線香をあげないようにお願いしてしまいました。しかし、四十九日まではお線香を絶やさないように、といったものを見るとほんとうにそれでよかったのか悩んでいます。お茶や、ご飯、生前好きだったお酒などお供えして手を合わせることでも大丈夫でしょうか。またそれらを母が毎日しなくても大丈夫でしょうか。 ろうそくも危ないので、蝋燭灯を買い求めつけてくれています。 離れて暮らしている私も手を合わせることで供養になりますか。その時お念仏を唱えるのか、父に話しかけたらよいのか、どのようにしたらよいでしょうか。 父親は、生前お念仏を唱えたり、信仰があったわけではありませんが、それでも救われますでしょうか。お酒好きでわがままなところもあり、怒りやすく人に迷惑もかけたこともあったと思いますが、優しく愛情もある人だったと思います。 間違った行いをしたこともあると思いますが、それを反省したのかはわかりません。 父がどこにいくのか確かめようがありませんが、救われて欲しいと願っています。 質問が複数になってしまいすみません。どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ