浄土教と阿弥陀様のお力について
私の父方の宗派が浄土真宗です。私は浄土真宗の教えをよく、「これは心改めた死刑囚に対して最も有効な教えかもしれない」と思うことがあります。他の宗派では、仏性には思考・言葉・行動の全てが揃っていなくてはならないなら、せいぜい世界の幸福を祈るという「思考」しかできない檻の中の死刑囚に救いは無い…というような見捨てにも解釈できる説法をされたことがあります。私は身内に死刑囚が居るわけじゃないのですが、「心改めた檻の中の死刑囚でも罪を償う方法があるかどうか?」が、それが本物の宗教かどうかをジャッジできると本能的に予想したのだと思います。
さて、阿弥陀様はよく他の宗派では悪者扱いされています。「あのお方はあの世の管轄者だからこの世のことは救ってくれない、功徳も利益もない、阿弥陀様にすがることはただの来世に託した人生の諦めでしかない」などと言われます。
阿弥陀様は、この世でも大衆を救ってくださる方なのでしょうか? 無量寿経などの聖典にはなんと書いてあるのでしょう? 回答よろしくお願い申し上げます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
阿弥陀如来
はじめまして、私は浄土真宗の僧侶です。無量寿経のメインはなんと言っても本願です。とりわけ第18願が重んじられてますね。簡単に言うと念仏をする全ての人々を成仏させられないならば私は悟りを開かない(如来にならない)という誓いです。私はこれを拡大解釈して別に念仏しなくても全てを救うと考えています。
あなたがおっしゃるように確かにあの世の安心を約束している文言に見えますけどね、実は違います。
人間は生まれたら必ず死にます。本能的に常に死を恐れて生きています。何故に死が恐ろしいかと考えると、もちろん生老病死と言いますから病気や怪我で痛いとか苦しいのが嫌だと言う事も言えますがそれは一時的なものですよね。それより、死んだら自分はどうなるのか?肉体が滅すれば魂も滅して無に帰するのか?生きている時の業で地獄に落ちるのか?そのような漠然とした不安が死の恐怖なのではないでしょうか。
しかし、浄土教では阿弥陀さまのお救いで必ず浄土往生出来る訳です。往生と言う言葉は往って生まれると書きます。つまり極楽浄土に往って仏として生まれる意味です。ですから浄土真宗では往生即成仏と説きます。
そして、全ての衆生が往生すると言う事を本当に信じる事が浄土真宗の信心なのです。しかし、残念ながら私たちは自分が死んだら必ず往生出来ると信じることが難しいのです。なぜなら本当かしら?と言う疑いの心があるからです。これを煩悩と言います。
しかし、もしも阿弥陀さまの救いと浄土往生を本当に信じる事ができたなら、実は今生きているこの世を幸せに生きる事が出来るのです。何故なら、私たちは常に幸せになりたいと思って生きています、死んだらどうなるか分からんから生きてる内に美味いもん食べとこう、死んだらどうなるか分からんからカラダが元気な内に旅行もたくさん行っておこう。となります。つまり、生きてる内が花と考えるのです。
それはあの世が不安心だからそう思う訳で、もしもあの世がお浄土の世界で安心ならばそんなにジタバタしなくても良いのだとなる訳です。
となれば信心をしっかり持てば、いま生きている世界でしっかり地に足を付けて生き切ることが出来るのです。
つまり、浄土真宗の根幹はこの世も幸せ、あの世も幸せと言うダブルの幸せを手に入れる教えと言うことが言えます。
南无阿彌陀佛
個人の感想です。
こんにちは、
はじめに、私の回答が浄土真宗の模範解答というつもりもなく、出雲路派教学部の見解でもなく、個人の感想であることを先にお伝えします。
無量寿経という言葉をご存知なら、よまれたこともありますでしょうか。
お経にどう書いてあるかだけでなく、書いてあることをどう理解するかで、世界観が変化します。
まず、無量寿経の引用でいうなら、讃仏偈のもう少し後くらいかな。
『あんたは何で修行してるの?』
という問いに
『生死勤苦の元を抜く』と答えている部分があります。
死んだ人は成仏した存在。すでに救われた状態。『生死の間で悩める衆生の苦しみの元を抜く』と話してます。
苦しみの元が抜かれた状態が救われた状態かなと思います。
宮本師の回答にもある48の誓願文ですが、その末尾は『不取正覚』とあります。
『救えないなら、まだまだ一人前の仏を名乗る資格がない。』と私は解釈しています。救いを押し付けることはしてません。
18願については私は、迷える衆生に必要とされないなら、まだまだ私も一人前とは言えないな、という理解をしています。
レストランでいうところの、食材揃えてメニューも決めた、あとはみんながお店に入ってくれるだけ。こちらはお客さんの笑顔を見るために腕も磨いたし、いい食材も揃えた。
あとは阿弥陀如来のところに往きたいと声に出してもらうだけ。南無阿弥陀仏と唱えてくれたら、何なら出前もします。だけど、注文しないうちは届けられない。まず気持ちを声に出しましょう。
という感じかなと思ってます。
請願文の1番目は、地獄、餓鬼、畜生の世界をつくらんと誓ってます。それも大事だなと思ってます。
あと、阿弥陀如来のことは阿弥陀経も見てくださると嬉しいです。
ウチの寺のページにも載せてます。
鳥も口コミで阿弥陀如来推すよっ言ってます。
死刑囚については、心を改めた時点ですでに半分以上救われてるんじゃないかなと考える立場です。
参考になれば。
質問者からのお礼
皆様、ありがとうございます。私も、そしてみんなも、まさしく大乗でこの世もあの世も幸せに過ごしたいです