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人はなぜ手を合わせるのでしょうか?

回答数回答 4
有り難し有り難し 77

重複した質問がありましたら、ごめんなさい。

以前、別なことで質問した時、ご回答をいただきまして、ありがとうございました。

人はなぜ手を合わせるのでしょうか?
仏様、神様、人にお願いする時やご飯の前、
祈らずにはいられない心境の時など。
なぜ手を合わせずにはいられないのでしょうか?(無意識に)

毎日、手を合わせている時に、ふと思ったのです。
疑問に思うこと自体間違っているのかもしれませんが…

色々、調べてみましたが難しく良くわかりません。
申し訳ごさいませんが、私の様な無知な人間にも分かり易く
ご教授いただけないでしょうか?

よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

言葉にならない

言葉にならない気持ちを表す為と言えます。
感謝にも似た、詫びる気持ちにも似た、支えられていること、結びついている事、不可思議な縁、有り難き働きが、この世に働いているのはお分かりいただけると思います。
その波長を感じ取った時、人は自ずから手が合わさるのです。

お互い、❝それ❞を 感じ取れる人でありましょう。

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素晴らしいつぼみが膨らむ

右手を仏さま、左手を自分、そして両の手のひらをシッカリと会わせると…
それは堅実心合掌と言って仏さまといつも一緒という祈りの姿。

その手のひらと手のひらのお腹の部分の力を自然に緩めてみると、
これが虚心合掌といって仏さまとともに自然に素直に祈る姿です。

そして、もう少し合わせた手のひらの間に空間を作ると…
何か蓮の花のツボミのように見えませんか?
それが未敷蓮華合掌と言って
合掌するあなた自身の心に「仏さま」のつぼみが膨らんだ事を
表している祈りの姿です。

何はともあれ、合掌は自分は決して一人ではないという祈りの姿であると思います。

誰であろうと、どんな時であろうと、
決して人は一人ではなく仏さまと一緒であるという事を
思い出し、思い出させる祈りの姿ではないでしょうか?

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仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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仏と私が一体になっているのです。

手を合わせるというのは、私が知っているだけでもいくつかの意味合いがあるようです。

「お手々の皺と皺とを合わせると幸せ」とある仏具屋さんのCM。
あるいは広く知られているのかもしれません。
ちょっと言葉遊びの要素が強いような気もするのですが・・・

指合わせ これも幸せに通じるということのようです。

仏教的な意味合いとしては、右手が仏様、左手が衆生をあらわし、それが一体になるというあたりではないでしょうか。

ともあれ、仏への帰依を現すのが合掌。

心静かに合掌をしてみましょう。

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真宗山元派上西山正善寺住職
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合掌について

ゆうじ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

合掌に関しましては、以前にも下記の問いにてお答えをさせて頂きました。

問い「お坊さんに向かって合掌するのは何故ですか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002970719.html

この際において、合掌は、如来の悟りの内実や働きを顕す手印の一つとしてご説明をさせて頂いております。

『・・私たちが普段行っている合掌は、「堅実心合掌」となります。実は、密教においては、この右手と左手を組み合わせて、如来の悟りの内実や働きを顕すことを手印(しゅいん)と申しますが、合掌もその一つであって、多様な形態がございます。私たちが合掌をするということの一つは、仏・法・僧の三宝に敬礼(きょうらい)するということ、更には悟り・涅槃を目指して精進努力致しますということの表れと言えるのではないかと存じております。堅実心合掌も、悟りへと目指すための堅実な菩提心の表れと考えることができます。・・』

誠に合掌する度に、悟りへと向けた仏道に精進する気持ちを更に堅固なものとして、日々の行いを清く正しくより善くに調えて参りたいものでこざいます。

また、食事の際における合掌は、特に食させて頂くために死したる動物たちへと、あなた様の有り難く尊い「いのち」を頂いて、生かされてあることに感謝することから「いただきます」と述べて行うもので、少し堅実心合掌とは異なるものですが、無数の縁によりて生かされている自分の存在に気づき感謝するのは、仏教的にも大変に重要なことであり、支え合い、分かち合い、助け合いが大切となるこの世界において、思い遣りや慈しみ、利他の心、親切心・報恩心を滋養していく上でも大いに役立つこととなります。

どうか、自らも含めて、一切衆生がやがて皆、悟り・涅槃へと至れますようにと、拙生も日々「合掌」申し上げます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

藤堂尚夫様
ご回答ありがとうございます。
『指合わせ』、そして仏への帰依を現すのが合掌
仏様や神様に合掌する時は心安らかになれるような気がします。

丹下 覚元様
ご回答ありがとうございます。
やはり人が無意識に、手を合わせずにはいられないのは
そういうことなんでしょうね。

悟東 あすか様
ご回答ありがとうございます。
一人ではなく、仏様と一緒
手を合わせるって素晴らしいことなんですね。

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