反省していると思う自分への嫌悪感
初めて相談させていただきます。
先日、Twitterで何気なく放った一言が人を傷つけてしまいました。不謹慎だと多くの人から指摘され、私自身その通りだと思い、その発言を取り下げ、謝罪しました。また、このような迂闊で配慮のない人間が言葉を発する資格はないと考え、Twitter自体も反省を終えるまで謹慎することにしました。
ただ、心からの反省ができないのです。
私がしでかしたことは、たとえるなら私になんの関係もない犬の亡骸を見て「うわっ」と声を上げてしまった。その場に、その犬の遺族がいて「不謹慎な対応をとらないでくれ」と悲しませてしまったようなことです。
考えてしまったことは自然なことです。ただその場に遺族がいるという予想ができなかった。配慮ができなかった。わざわざ口にしなくてよいことを口にした。迂闊であった。それが消え入りたくなるくらい恥ずかしいのです。
それなのに、恥ずかしくて消えてしまいたいのに、「恥ずかしくて消えてしまいたいほど深刻に捉えている自分は、まだマシだ」と心の何処かで考えているのです。そんな自分に気づくたびに、なんて浅はかなのだろうと愕然とするのです。
どうすれば心から反省し、行動を改めることができるでしょうか。どうすれば迂闊な発言を慎み、他者を完璧に思いやり、誰も傷つけない振る舞いができるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝
過去を省みて
己の浅はかさを知る
それが反省です
貴女の反省は心からの反省に違いありません
若いうちは多くの人は浅はかなもの
沢山失敗して慎重さと謙虚さを身につけるしかありません
人は自分を責め続けられるほど強くありません
あなたが「まだマシ」と考えてしまうのも
自分を責め続けることはできない
人間の性質です
弱さ故です
このように貴女の悩みは
自分を守るための心の間違えた働きが原因なのでは無いでしょうか?
どこかで自分は正しいと思いたい故
問題をすり替えてしまいたくなる
これこそあさはか
反省は良いのですが
その後の問題のすり替えがとても宜しくない
人の気持ちが一番大事なのに
自分を嫌う事に恐れを感じています
またもや人の気持ちより自分の可愛さから
問題から逃げてしまっています
普段からもっと
謙虚さを意識しましょう
誰かより優れている必要もない
ただ謙虚にありのまま自分の失敗を受け止め無ければ何も学ばなかった事と一緒
きっとまた同じような失敗をしては
己を誤魔化す事でしょう
普段から
自分に対して他人に対して
厳し過ぎはしませんか?
自分や他人に求める理想が高すぎはしませんか?
人は不完全な生き物です
迂闊に口を滑らせる事もある
沢山失敗して覚えるもの
貴女が悩んでいる事は
自分の事
本当に傷ついた人の事が悩みなわけではない
人の為に時間を使える
素敵な人になりましょう
合掌
反省といいながら、別のことを優先している。
心底懺悔をされる方はそのことしかありません。
他のことが先立っている心理に向き合うことをお勧めします。
表には反省や懺悔と心理プラカードを出していても、その裏に別の何かを優先している心理があるのかもしれませんね。
心底懺悔をすることは、他人様の目を気にしたり、人から嫌われたくないというような心の声は優先される必要はありません。本当に心底お詫び申し上げますという気持ちが本当に最優先されるようになると、他のことがまぜこぜにならないものです。
あなたには反省したい気持ちはあるのでしょうが、何かを恐れているような印象を受けます。保身も似た心理があることを自分で見抜けるようになれるとそういう心は不要だと気付けるでしょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。考えれば考えるほど、「ああ考えたことそれ自体が悪だったのか?」と考えるようになります。恐らく、私の発言でどうして他人が傷ついたのか、真に理解ができていないのです。にも関わらず反省しなければいけないと思っているから、ポーズだけになっているのだろうなと思いました。だから「保身」であり「我が身かわいさ」だけであり「他人中心でない」のだろうなと思いました。