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譲れない価値観

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有り難し有り難し 24

価値観が人それぞれなのは大前提ですが、たまに夫の考えにゾッとすることがあります。

昨年私の祖父母が立て続けに亡くなりました。
祖母の葬儀出席後「お祖父さんには会ったことないから葬儀に出なくていいよね?」と言われました。
私が「そしたらそっちのお祖母さん(面識なし)が亡くなったら私は葬儀に出なくていいってこと?義両親がその理由で納得する?」と聞くと「あ…葬儀行きます…」と
「でも親族席じゃなくていいよね?」と返され「従兄弟の奥さん親族席に座るよ。立場は一緒じゃないの?」と言うと「親族席に座ります」と。

またある日はニュースを見ながら所謂「無敵の人」について話していた時「こうなっちゃうのもわかるな〜」とボソッと呟いてました。
「被害に遭った人からすればたまったもんじゃないよ。私が過去にひったくりに遭って殴られたのも仕方ないことなの?」と聞くと「犯罪は良くないけどそうなってしまう背景には同情する」と言っていました。

主人にも主人なりの価値観があり考えた上での発言だと思いますが、私の価値観と違いすぎることと、私にとって地雷を踏み抜くような発言になるのが耐えられません。

普段は人に寄り添って考えることができる優しい人なのですが、その反面、上記のような発言をされたときはゾッとしました。
私の心が狭いのでしょうか。
今後、主人がこの様に価値観が違いすぎる発言をしたときはどのように答えるのが良いのでしょうか

2023年3月3日 21:36

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ティッシュも用い方次第 異なれど人類共通の価値観をもとめて 

こんにちは。
(*'▽')
わたくしは「行き過ぎたエゴイズムやジコチュ―をなんでも❝多様性❞とか呼ぶことに断固として反対する会」の会長の丹下スコットル撤修ともうします。
「結婚は誰と結婚してもある種 国際結婚に等しい」という説もひっそりと展開しております。大切なのは違いを認め合うこと。単に見ているところ、重きを置いているところがお互いその時そのタイミングでたまたま「そっちかよ」というところを見ているだけでお互い自分の身の安全のために行っていることを知ることです。
つまり価値観の相違の本質はお互いが一つの事象に対して「みているところ」「優先ぽいんと」が違うというだけで、本質は違わない。異ならないということです。
夫婦はおたがい家事に忙しく仕事でつらい思いをしつつ、ちょっとしたことで意見の食い違いになるもんです。開けてはならない箱は閉めておくのが一番です。
大切なことは、開けてはならないパンドラの箱ではなくティッシュペーパーの箱にまなぶことです。
サイタマ在住の一本足りない凡下さん(仮名)は「おティッシュさま」が欠かせません。ティッシュはスコッティが好きです。花粉の時期、鼻をかまない日はありません。ティッシュペーパーの箱はよく見ればサイコロと同じ六面体。しかも八か所にカドあり。しかも上の面には便利なビニール取り出し口付き。彼はこの世に誕生して以来、多くの人たちから支持をされ、この花粉症の時期にはなくてはならない偉大な存在です。ティッシュの箱の空いている面を用いてはメモ書きにしたり、空いた箱を揚げ物の敷き紙にしたり、出先でガラスが割れた時もトンチで箱を半分に割ってホウキとチリトリのように用いて難を逃れた珍経験もあるそうです。子らがキモがる虫が出て騒ぎになる時もおティッシュに包んで「お返し申す」と窓の外に放流なさるそうです。🐛🐇
ティッシュも使い方は人によって違うので観察してみてください。鼻をかむばかりが真実ではありません。眼鏡を吹く、床の掃除、口を吹く、涙をふく、マジック、火種、広告…、用い方が無限にあることを観自在と申します。つまり、価値観が違うということも、観方が違うだけ。価値観が違うぅ~と涙を流すより、(´-`*)へー、そこに重きを置くことはどういう価値があるのか学びにしたいわ、という程度にかわして鼻でもかんでください、いつもと違うティッシュの折り方で。

2023年3月4日 8:53
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

考える視点が違うだけ。花束。

葬儀については、亡くなった人との関係性を見るのか遺族との関係性を見るのかにより、思いが違ってきますね。
「無敵の人」についても、誰もがほんの少しのボタンの掛け違い(生まれもった能力や育った環境や置かれている状況)で罪を犯してしまう弱い存在だと、仏様のような視点で見るなら、旦那さんのような発言になるかもしれません。
結局、価値観と言っても、大部分が視点の違いだけなのかもしれません。
浄土宗等では、煩悩まみれの人間の弱さを痛感し、善人でも悪人でも(被害者も加害者ももれなく)救われる念仏の道を尊びます。
しかし、怨み憎しみに満ちた犯罪被害者からしたら、加害者まで救われるなんてけしからんと思うかもしれません。
仏様の大慈悲は、憎しみや怒りにとらわれる人間の視点を超えているので、理解できない(賛同したくない)人間もいるのでしょうね。
しかし、私達も悟って成仏したときには、悪人でも慈しむ境地になれるのです。
旦那さんが悟っているという意味ではありませんが、人それぞれの考え方がある。
だから世の中は面白いのかもしれません。
花束は、異なる色の花がお互いを引き立てあい飾りあって美しく見えます。
価値観が違う発言を聞いたときは、旦那さんの発言の奥にある欲・怒り・怠け・プライドの煩悩に配慮して、楽しく議論するもよし、黙って許すもよし。
あなた自身は、怒りのストレスで苦しまないように、リラックスしましょう。

2023年3月3日 22:54
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

視点が違うというお言葉にハッとさせられました。
ありがとうございます。

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