浄土真宗での水子供養
浄土真宗での水子供養の必要はないと、ネットで見ました。
中絶という事をしてしまいました。
自身の家が浄土真宗、大谷派です。法事等でお世話になっておりますお寺さんがいますが、聞く事は出来ません。
本当に、浄土真宗では水子供養の必要はないのでしょうか?
また、他の宗派での水子供養をしてもいいのでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。
仏壇や、お墓に手を合わせる時は、必ずその子を思い南無阿弥陀仏と唱えております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
供養はする必要はありません
質問読ませていただきました。私は浄土真宗の僧侶です。おっしゃる通り浄土真宗では水子供養は致しません。というか、供養と言う教義が無いのです。
その理由をご説明します。浄土真宗では亡くなった方は水子も含めて阿弥陀如来の本願力によって全て成仏します。
成仏とは文字通り仏様に成ると言う事です。仏(ほとけ)と言う字は「ブツ」とも読みますね。これは仏=仏陀という意味です。仏陀とは100%完璧な悟りを得た人のことを言います。
そう考えると私たち100%完璧でない人間が100%完璧な仏様を供養するっておかしくないですか?というか、おこがましいですよね。
だから私たちが仏様を供養する必要などないのです。ですから、むしろ私たちが仏様からお導きを受けるという方が正解なのです。そのことを、難しい言葉で聞法(もんぽう)のご縁をいただくと言います。
法とは仏様の教えのことですから、法を聞くとはすなわち仏様からお導きを受けるという事なのです。
ですから、水子供養を含め全ての浄土真宗の法事は、仏様からお導きをいただくのが通りですけれど、「そろそろ○○様の一周忌ですから仏様のお導きを受けましょう」と聞いてもピンと来ないので、方便として○○様の一周忌ですからご供養しましょうと言って皆さんに集まってもらう訳です。
もちろん、故人を偲んで、故人に感謝する気持ちは当然なのですよ。ですからそう言う気持ちで法事に参加しつつ更に仏様から聞法させて頂くのです。
でもね、人間の気持ちって理屈じゃ割り切れないのですよね。おっしゃる通り中絶は殺生(せっしょう)です。当然罪悪感があります。だから供養したいと言う気持ちになるのです。
しかし、浄土真宗的に言えば水子さんも仏様です。だから仏様になった水子さんを偲んでこの世に生まれて来れなかった事を謝って追悼法要をすれば良いのです。
言葉は違うけれどあなたが思っている法要は出来るのです。そして、改めて命の尊さを水子さんから教えてもらうのです。それが聞法なのです。
供養と言う言葉に翻弄されてはいけません。水子のいのちに感謝してお念仏しましょう。南无阿彌陀佛
追伸、あなたの菩提寺さんに水子の追悼法要をしたいと申し出て下さい。快く引き受けてくださいますよ。
水子供養という名の御葬式
私も大谷派ですが
ご依頼があれば全て引き受けております。
浄土真宗における水子供養の意味もお話し
亡くなったお子さんの御葬式としてお勤めします。
申し訳なさや後ろめたさで
子どもの祟りを気にされがちですが
そういうことはないことを知っていただき
真摯に向き合うお気持ちになっていただけるお手伝いをします。
ちなみにその方々はウチの御門徒ではありません。
やはり菩提寺にはお願いしづらいのでしょうね。
検索してウチを見つけて申し込まれました。
質問者からのお礼
宮本龍太様
お返事ありがとうございます。細やかなお話感謝致します。
私自身、独身ではありますが、自身の家族にはこの話を伝えておらず、菩提寺様にご相談出来ずこちらで相談させていただきました。