自分がないから死にたい
就活生です。自己分析をしているうちに、自分がない人間だと気づきました。
そうなった原因は色々あるんだろうなと思いますが、一つに親が小さい頃から言葉が厳しかったり、人格否定に近いことを言われてたりした影響があると思います。
何をやっても普通の人と違うことをしてしまっているんじゃないか怒られるんじゃないかという恐怖から自分の選択に自信を持てません。否定されると死んだ方がましだと思います。
親に対して疑念があるのに、その疑念を持つこと自体、自分は頭がおかしいし、失礼だと感じてしまいます。親に否定されるのが死ぬほど怖いのに、何か決めなきゃいけないたびに電話して良い顔をしてしまいます。自分の性格もよくわかりません。何が好きかとかもないです。承認欲求は死ぬほどあるのに、自分なんていなくてもいいという気持ちもすごくあります。
就活で、書類がなかなか通らなかった時に行きたい企業の書類選考について親に相談しました。書類の添削を手伝ってもらったのもあって、無事その企業の書類選考は合格しました。
そしたら、ありがたいことなのですが親がとても張り切って次の選考のアドバイスもしようとしてくれて、色々こうしろと指示が出ました。お前のために考えたから指示に従わないなら勝手にしろというニュアンスの言葉をもらい、そこからまたしんどくなりました。
書類選考の時もこれは体験談を述べてる以外私じゃないなと思って書いていて、次の選考のアドバイスに関してはもう完全に私じゃなくて、親そのものの言葉を私が代弁するだけになるなと思い、これでもし受かっても私じゃなくて親が受かったんだなと考えるだろうと思ってしまい、しんどくなってきました。
就活さえまともに決めたりできない自分が情けないし、自己分析で自分と向き合ってからもう生きてる意味もないから死のうと思います。でも勇気がないのと痛みを味わいたくないという甘えが勝ってしまっているので、思い立った時にすぐ実行できるようにするには、どうしたらいいですか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拝
お話を伺う限り
親子の平等ではない
依存関係が見て取れます
親は子供を所有物と思っていて
貴女も所有物である事を受け入れてしまって
共依存のような状態です
決して
自分が無いという
わけではなく
心に
価値判断に
親がいつもいるという事が言えるのでは無いでしょうか?
もし命を投げ出すくらいなら
しっかり親と距離をとって
親の投げた石が届かないところで
まずは自立するところから始めましょう
みんな家庭になにかしら問題はあり
子供はそういう問題を乗り越えていく事で
強く優しくなるのですから心配ありません
むしろその経験があるからこそ
人の苦しみも理解できるようになる
諦めてしまえばそこで終わりなのだけど
貴女の可能性は実は無限なのですよ
今は親のバイアスがかからないところないかれる事をお勧めします
合掌
南無阿弥陀仏
浄土宗では、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を称(とな)える者は、臨終の瞬間に阿弥陀仏がお迎えに来てくれ、極楽浄土に往生できると考えます。
また、臨終の瞬間には、阿弥陀仏の力で、断末摩の苦痛も無くなるそうです。
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏して、仮に今すぐここで死んでも極楽浄土に往けるから、いつ死んでも大丈夫だと、今・ここの念仏を、生涯最後の臨終の念仏のつもりで唱えてください。
そして、縁あって命長らえ生き延びたら、適当に、できることをできる範囲でやればOKだと思ってください。
南無とは、尊敬しますとか、全てを投げだし委ねますという意味です。
南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏に私の全てをお任せしますという意味。
阿弥陀仏の救いの船にただ飛び乗るだけで良いのです。
でも、不思議なことに、いつ死んでも平気へっちゃらだと思えたら、生きるのも平気へっちゃらに生きられる可能性が高くなります。
合掌
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ