将来について
わたしには将来やりたいことがありません。
自分の意思がなくすべて他人にどう思われるかだけを基準に生きてきました。
将来やりたいこともなく、特に入りたい大学もなく受験の時も自分のことなのに他人のことのように考え、小さいころから作文や小論文が苦手だったことから、自己PR文やレポートなどの作成ができないと考え、進学せずに高校を卒業したら終わらせる覚悟をしていました。
しかし、親の反対もあり私は母に責任を押し付けて、やりたいこともないままに大学に進学してしまいました。
高校のころから体調が悪いことが多く通院していたこともありましたが治ることもなく通院をやめ学校に遅刻することも多く、大学生になってもそれは変わりませんでした。体調のことを理解してくれない親には毎回やめちまえといわれます。
案の定レポートの作成はできず、親に相談すると自分でやれといわれました。
このやり取りはレポート作成のたびに行われ、私は「進学するつもりじゃなかったのを進学させたのはそっちだ。」といってしまいます。おかしなことだとはわかっていますが、見捨てられたような気になってとても絶望的な気持ちになってしまうのです。
これから先も将来について考える機会はたくさんあります。しかし私には何もありません。
もともとなかったはずの人生だしと思ってしまいます。
長々と書いた後に漠然とした質問で申し訳ないのですが、
わたしはどうしたらいいのでしょうか。
読んでいただきありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私は今でこそ僧侶ですが、
お寺の生まれ育ちでなかったので、
若い頃の将来像に「僧侶」なんてありませんでした。
大学も理系でしたし、
卒業後サラリーマンになりました。
将来なんて、
運と縁次第でどのようにもなります。
希望通りになったりならなかったり。
私も希望通りではありませんでしたが、
僧侶という役目が性に合っているなと思っています。
うさまるさんも、
これからいろいろな出会いや学びがあるでしょうから、
自分の将来像もハッキリしてくるかもしれませんね。
やりたいことが無くても歩くのが人生です
うさまるさんおはようございます、武田正幹と申します。どうぞよろしくお願い致します
まずもって体調は如何でしょうか、あまり無理はなさいませんよう、ご自愛くださいませ
さて、やりたいことが無いのは困っちゃいますね。でも、やりたい事、明確な目的を持って日々過ごしている方のほうが少ないのではと思います。
やりたいことが無いからこそ、自ら道を狭めるのではなく、
どうせ空っぽ。
なんでも挑戦してみればいいのだと思いますよ。無理なら辞めちゃっていいんです。10個挑戦してダメなら100個…その中で1つでも興味を持てたらラッキーではないでしょうか?
大学に行かせたのも道が広がる、つまり可能性が広がるからこそではないでしょうか?
具合が悪くなれば休めばいいし、レポートだっていきなり完全にこなす必要もありません。
千里の道も一歩から
貴女が生を歩いている限り道には多くの障害がありますが、それ以上に素晴らしい景色もあるはずです。ご自身を卑下せず、どうか、こんな自分でもここまでこれたと褒めて認めてあげて下さいますようご祈念致します。
質問者からのお礼
もう少し気楽に考えてみます。
とても助かりました、ありがとうございます。
ありがとうございます。
大学で視野を広げたいと思います。
ありがとうございます。
大学で視野を広げたいと思います。