やっぱり死にたいと思ってしまいます
以前にも相談させていただきました。
とても丁寧なわかりやすいお返事をいただき、ありがたかったです。
テキトーに生きる
という言葉が、心にささりました。
でもなかなか難しくて、苦しいです。
私がテキトーにしていると洗濯物がたまり、台所もグチャグチャ。結局我慢できなくなって私がすることになります。
気づいたことはできるだけやるようにしている、というのもありますが、職場の細かな整頓や植物の世話などもつい気になってやっています。ほっとけば誰かがやるのかもしれませんが、植物が枯れたりしてはかわいそう…と思ってやっぱりやってしまうんです。
家にいても安らげなくて、笑うどころか話しをすることもほとんどありません。
職場では無理に笑ったりしますが、すごく疲れます。
できれば誰にも会いたくない。引きこもっていたいです。
どうすればテキトーに生きることができるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死にたいの本心は、生きたい。
かえる 様 相談ありがとうございます。
テキトーに生きる塩梅は人によって違うので難しいですよね。
他人の真似をしても、自分の生活に合わなければ、
結局自分で模索することになって、疲れてしまいますよね。
「職場でも、家でも安らげない」ということは、
どこかに安らぎを求めているのですよね。
そして、死にたいと思う裏返しは、生きたい。それも今より「幸せに生きたい」ですよね。本心は。
まずは、安心・安全を感じる場所で、信頼のおける人(セラピストや僧侶)に
あなたの気持ちを丁寧に聴いてもらってください。
そこで感情を吐き出すのです。
愚痴を吐き出し、不安、辛い、苦しい、悲しい、淋しい、などなど自分の感情を感じながら吐き出すことによって、感情(心)が動きだします。
そうするとその逆の感情、楽しいや嬉しいの喜びも感じるようになります。
「笑うどころか話をすることもほとんどない」ことは感情を動かしませんから、
ネガティブ思考に捉われそこから抜け出せません。
つまり「死にたい」きもちを「生きたい」「幸せになりたい」という気持ちにもっていくのは、色々感じてそれを出していくことが必要になるのです。
話を聴いてくれる人、安心安全を感じる場所なんて見つからないと思うなら、ハスノハでのZOOMの相談をお願いするとか、ネットで検索して信頼できそうな、セラピストや僧侶に定期的なセラピーや傾聴をお願いしてみると良いと思います。
そのような人を頼っていいということです。
個人のストレスや希死念慮など一人で解決しようとせずに、沢山の人を頼っていいのです。恥ずかしいことはありません。誰でもそのような悩みを持ちますので、抗うのは複数人いる方が心強いと思います。
参考にしてください。
追伸:お礼メッセージありがとうございました。自分を褒めることも大切です。おそらく少しずつ変わっていくでしょう。そして自己信頼が持てれば、回避的な対人関係も変わっていくでしょう。さらに、話すのが苦手でもメールか何か、出来そうなことで他人に思いやりを向けてもらえるとしたら、脅威に感じることにもっと変化がもたらされるのでは、と思います。ご検討ください。ご縁に感謝申し上げます。再礼。
字数制限で、この欄はここまで。重ねて御礼申し上げます。再再礼
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
人を頼るというのは、私が一番苦手としているところだと思います。
日々の生活の中で諦めがある一方で、多分逃げ出したいとか解放されたいとか、そういう気持ちもあるような気がします。
親のための人生ではないと思いつつも、親をおいて家を出ることに申し訳なさを感じます。
仕事も急に辞めたりしたら迷惑をかけると思い、踏み出せずにいます。
相談できる人、気持ちを出せる人を見つけないとならないと思いますが、人と話すのが怖い気がします。
子供の頃から自分の気持ちをあまり出したことがないのです。
まずは、今日も生きてて偉かったね、と自分をちょっと褒めることから始めてみようかと思うのですが、こんなことくらいでは変われないのでしょうか。
重ねてのお返事、ありがとうございます!
変わっていくことができるのかまだ不安ですが、できそうなことを少しずつでもやってみようと思います。
お坊さんって本当にありがたい存在ですね。
ありがとうございました。