子どものお祭り・法要について思う事
いつもお世話になっております。日本には、各地の寺社で、
「泣き相撲」や「得度式」などの法要や祭りがあります。
私は、思う事があります。ある日ニュースを読んでいると、
得度式について取り上げられていて、
「小学生の息子を得度させました。本人は、初めこそ嫌がっていた
ものの、周りの子たちもみんな丸刈りなので、慣れたようです」
と母親が記者さんに答えていました。
これ、カルト宗教とやってる事変わらないんじゃ?
子どもは、自分で意思表示をすることができません。
たとえ「いやだ」と言えても、大人から圧力をかけられれば、
恐怖のあまり隷従してしまいます。
じゃあおっかさん、あんたは得度したのかえ?完全に、
自分の子をアクセサリーにしているように感じました。
まして、今の日本では宗教なんて慢心のためのアクセサリー
みたいな考えの人が多いのに。
さらに、成長期の子が断食をし、それを褒めたたえたタレント
がいました。医療界からは、
「なんて事を!成長期の子どもが栄養を断つなんて、危険極まり
ないことなのに。イスラム教だって、子ども、妊婦、生理中の
女性の断食行は免除されている」
と驚きの声が上がっています。
泣き相撲もそうです。赤ちゃんが泣くのは、不快だから。これは、
育児や発達心理学の基本です。わざと泣かせて、楽しむ?
それこそ、心理的虐待でしょう。
さらに、未就学児の小さな体に、2kgもの餅を背負わせて歩かせる
儀式もあります。あまりの重さに、泣いて倒れこんでしまう子ども
もいます。それを見て、大人は喜びます。骨折でもして一生後遺症、
なんて事にもなりかねません。
これらの子ども系の祭りや法要は、すべて、子供の意思は無視。
得度式など、人生がかかっているのに。結果を出そうとしない
怠惰な大人が、「うちの子すごいでしょ!」と驕るために、
子どもに思想を押し付けるのでしょうか。
意思のない人への信仰の押し付け…カルト宗教そのものだと
思います。私は、一人の宗教者(俗人ですが、あえてこの言い方
を使っています)として、憤慨しています。
何度も言うように、今の日本では、宗教は心の原動力(エンジン)
ではなく、怠惰の免罪符、驕りのアクセサリーになっています。
本当に、嘆かわしい限りです。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
有り難きご仏縁に恵まれ健やかに成長して頂きたいです
拝読させて頂きました。
見方によってはカルト教団と何ら変わらぬことの様に映るとも思います。
あなたがその様に感じてしまうことも否めないと思います。
泣き相撲も子ども達にとってははた迷惑なことかもしれませんね。泣き度合いを競うということは非科学的な行為です。子ども達の状態をかんがみて行う必要はあると思います。
ただ今まで親達が子ども達にどうか健やかに育っていってほしいという切実な願いがそこに込められている文化の一つの形なのかとも思います。
ウチのお寺の過去帳で戦前戦中はもとより江戸時代を見ると亡くなっている人は半分は幼い子ども達です。同時に母親も亡くなっている場合が多いです。子ども達は七五三を迎える前に亡くなっているのです。ましてやコロナ感染症を超える様な感染症が大流行して幼い子ども達は亡くなっています。藁をもすがる思いで親達は子ども達の成長を神仏に願っていたと思います。その思いや願いや祈りは時代を経てもとても尊いと私は思います。
それと今年私の息子は増上寺とウチのお寺で得度式を受けました。6歳ですから善いも悪いもわからないです。
息子は坊主頭にしたいと自分から言ってきたので0mmにして得度を受けました。
私はかつて家庭の事情でその様な式を受けることができませんでした。ですから今回とても尊いご仏縁を頂いたと思っております。
息子は今は何もわからないです。けれども僧侶となる登竜門を息子が堂々と通ったことは本当に有り難いと思います。そして内容など全くわからないですが、少しずつお経も覚え始めています。
人生の道を歩んでいく為に様々な方法はあると思います。それが善き道なのか悪しき道なのかは私達にはなかなかわからないものです。
ただ仏教の教えに直接触れられる機会を得ることはとても尊いことだと私は思います。
おそらく人生紆余曲折が待っていますし、遠回りもするでしょうし、逆方向に行ってしまうこともあるでしょう。
私は全ての子ども達が本当に健やかに成長なさって下さる様にと切に祈っております。
そして全ての方が善きご縁に恵まれ善き道を歩んでいかれます様に、真理を知り得る機会に恵まれ本当に豊かに生き抜いていかれます様にと切に祈っております。
そしてあなたに尊いご仏縁がこれからも恵まれます様切に祈っております。至心合掌
色々な見て学んでもらいたいです。有難うございます
そういう見方もできます
おっしゃるように、たいていの教育や文化の継承は、「洗脳だ」といちゃもんをつけることが可能になりますね。
結局は、教える内容がカルト宗教の教義かどうか。それが重要ですね。
質問者からのお礼
【願誉浄史 先生】
お返事いただき、ありがとうございます。
成長期の子供の栄養を断つのも、未就学児の未発達な小さな体
いっぱいに重い物を背負わせるのも、危険な行為です。
また、子どもの感情を無視して、髪の毛を削ぎ落させる、無理やり
教えを押し付けるのも「信教の自由」の侵害に当たると思います。
髪を剃られるなんて、大人でも抵抗があるのに。
今、日本では、あらゆる方面から宗教が誤解されています。
スピリチュアルブームが始まり、「霊能者」と呼ばれる人々が、
間違った教え…努力の放棄、科学・医療の否定を、神仏の名を
使って喧伝しました。
それで済めばよかったのですが、有名寺院や本山までもが、
儲けのために、「霊能者」と手を組んだのです。
結果、この国で宗教は、
「現実逃避の怠けだ」「弱いものを騙している」
「科学や医療を否定する、危険なもの」
と誤解を受けることになったのです。信者側にも、本来なら謙虚に
ならねばならないはずが、
「信心して、神仏に守ってもらっている私たちは特別」
「不思議な力のおかげで、努力しなくてもいい」
という認識が蔓延しています。
私は、危ない事を「危ない」と警告しただけです。
仏教が好きだから。
「現実をしっかり見て、間違った事に惑わされないように
現実的に努力して。スピリチュアルではない」
という、本当の教えを、皆さんに知ってほしくて。
それなのに、「いちゃもん」の一言で一蹴されてしまって、
悲しいです。お礼になっていませんね。申し訳ございません。
【Kousyo Kuuyo Azuma 先生】
お返事いただき、ありがとうございます。6歳でお坊さんになる
ことを自ら志願したのですか!?すごい…私は、かつて、お寺での
トラブルの際にAzuma先生と直接お電話でやり取りしたことが
あります。とても誠実な方だなあという印象でした。
そんなお父様のお背中を見て、「ぼくもこうなりたい」と
思ったのでしょう。私が出会ってきた多くの悪徳僧侶…
他の宗派をけなしたり、他の仏様を粗末にしたり、信仰に
関心のない人を毀損したりするようなお坊さんにはならないで
いただきたいと願います。
江戸期の死者の半数は子ども…かわいそうなことです。この
時代は現代のようにありがたい文明が発達しておらず、わから
ない事は全て「神様仏様の思し召し」という陰謀論時代でした
から、拝めや拝めになるのも仕方がなかったのかな…とも
思いました。
ともあれ、ご子息が、上述したような間違ったひどいお坊さん
になりませんように。