hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

子どものお祭り・法要について思う事

回答数回答 2
有り難し有り難し 9

 いつもお世話になっております。日本には、各地の寺社で、
「泣き相撲」や「得度式」などの法要や祭りがあります。

 私は、思う事があります。ある日ニュースを読んでいると、
得度式について取り上げられていて、
「小学生の息子を得度させました。本人は、初めこそ嫌がっていた
ものの、周りの子たちもみんな丸刈りなので、慣れたようです」
と母親が記者さんに答えていました。

 これ、カルト宗教とやってる事変わらないんじゃ?
子どもは、自分で意思表示をすることができません。
たとえ「いやだ」と言えても、大人から圧力をかけられれば、
恐怖のあまり隷従してしまいます。
 じゃあおっかさん、あんたは得度したのかえ?完全に、
自分の子をアクセサリーにしているように感じました。
 まして、今の日本では宗教なんて慢心のためのアクセサリー
みたいな考えの人が多いのに。

 さらに、成長期の子が断食をし、それを褒めたたえたタレント
がいました。医療界からは、
「なんて事を!成長期の子どもが栄養を断つなんて、危険極まり
ないことなのに。イスラム教だって、子ども、妊婦、生理中の
女性の断食行は免除されている」
と驚きの声が上がっています。

 泣き相撲もそうです。赤ちゃんが泣くのは、不快だから。これは、
育児や発達心理学の基本です。わざと泣かせて、楽しむ?
それこそ、心理的虐待でしょう。

 さらに、未就学児の小さな体に、2kgもの餅を背負わせて歩かせる
儀式もあります。あまりの重さに、泣いて倒れこんでしまう子ども
もいます。それを見て、大人は喜びます。骨折でもして一生後遺症、
なんて事にもなりかねません。

 これらの子ども系の祭りや法要は、すべて、子供の意思は無視。
得度式など、人生がかかっているのに。結果を出そうとしない
怠惰な大人が、「うちの子すごいでしょ!」と驕るために、
子どもに思想を押し付けるのでしょうか。

 意思のない人への信仰の押し付け…カルト宗教そのものだと
思います。私は、一人の宗教者(俗人ですが、あえてこの言い方
を使っています)として、憤慨しています。

 何度も言うように、今の日本では、宗教は心の原動力(エンジン)
ではなく、怠惰の免罪符、驕りのアクセサリーになっています。

 本当に、嘆かわしい限りです。

2023年5月7日 8:37

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

有り難きご仏縁に恵まれ健やかに成長して頂きたいです

拝読させて頂きました。
見方によってはカルト教団と何ら変わらぬことの様に映るとも思います。
あなたがその様に感じてしまうことも否めないと思います。

泣き相撲も子ども達にとってははた迷惑なことかもしれませんね。泣き度合いを競うということは非科学的な行為です。子ども達の状態をかんがみて行う必要はあると思います。

ただ今まで親達が子ども達にどうか健やかに育っていってほしいという切実な願いがそこに込められている文化の一つの形なのかとも思います。

ウチのお寺の過去帳で戦前戦中はもとより江戸時代を見ると亡くなっている人は半分は幼い子ども達です。同時に母親も亡くなっている場合が多いです。子ども達は七五三を迎える前に亡くなっているのです。ましてやコロナ感染症を超える様な感染症が大流行して幼い子ども達は亡くなっています。藁をもすがる思いで親達は子ども達の成長を神仏に願っていたと思います。その思いや願いや祈りは時代を経てもとても尊いと私は思います。

それと今年私の息子は増上寺とウチのお寺で得度式を受けました。6歳ですから善いも悪いもわからないです。
息子は坊主頭にしたいと自分から言ってきたので0mmにして得度を受けました。

私はかつて家庭の事情でその様な式を受けることができませんでした。ですから今回とても尊いご仏縁を頂いたと思っております。

息子は今は何もわからないです。けれども僧侶となる登竜門を息子が堂々と通ったことは本当に有り難いと思います。そして内容など全くわからないですが、少しずつお経も覚え始めています。

人生の道を歩んでいく為に様々な方法はあると思います。それが善き道なのか悪しき道なのかは私達にはなかなかわからないものです。
ただ仏教の教えに直接触れられる機会を得ることはとても尊いことだと私は思います。

おそらく人生紆余曲折が待っていますし、遠回りもするでしょうし、逆方向に行ってしまうこともあるでしょう。

私は全ての子ども達が本当に健やかに成長なさって下さる様にと切に祈っております。
そして全ての方が善きご縁に恵まれ善き道を歩んでいかれます様に、真理を知り得る機会に恵まれ本当に豊かに生き抜いていかれます様にと切に祈っております。

そしてあなたに尊いご仏縁がこれからも恵まれます様切に祈っております。至心合掌

色々な見て学んでもらいたいです。有難うございます

2023年5月7日 21:38
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

そういう見方もできます

おっしゃるように、たいていの教育や文化の継承は、「洗脳だ」といちゃもんをつけることが可能になりますね。
結局は、教える内容がカルト宗教の教義かどうか。それが重要ですね。

2023年5月7日 17:37
{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

【願誉浄史 先生】
 お返事いただき、ありがとうございます。
 成長期の子供の栄養を断つのも、未就学児の未発達な小さな体
いっぱいに重い物を背負わせるのも、危険な行為です。
 また、子どもの感情を無視して、髪の毛を削ぎ落させる、無理やり
教えを押し付けるのも「信教の自由」の侵害に当たると思います。
髪を剃られるなんて、大人でも抵抗があるのに。

 今、日本では、あらゆる方面から宗教が誤解されています。
スピリチュアルブームが始まり、「霊能者」と呼ばれる人々が、
間違った教え…努力の放棄、科学・医療の否定を、神仏の名を
使って喧伝しました。
 それで済めばよかったのですが、有名寺院や本山までもが、
儲けのために、「霊能者」と手を組んだのです。
 結果、この国で宗教は、
「現実逃避の怠けだ」「弱いものを騙している」
「科学や医療を否定する、危険なもの」
と誤解を受けることになったのです。信者側にも、本来なら謙虚に
ならねばならないはずが、
「信心して、神仏に守ってもらっている私たちは特別」
「不思議な力のおかげで、努力しなくてもいい」
という認識が蔓延しています。

 私は、危ない事を「危ない」と警告しただけです。
仏教が好きだから。
「現実をしっかり見て、間違った事に惑わされないように
現実的に努力して。スピリチュアルではない」
という、本当の教えを、皆さんに知ってほしくて。

 それなのに、「いちゃもん」の一言で一蹴されてしまって、
悲しいです。お礼になっていませんね。申し訳ございません。

【Kousyo Kuuyo Azuma 先生】
 お返事いただき、ありがとうございます。6歳でお坊さんになる
ことを自ら志願したのですか!?すごい…私は、かつて、お寺での
トラブルの際にAzuma先生と直接お電話でやり取りしたことが
あります。とても誠実な方だなあという印象でした。
 そんなお父様のお背中を見て、「ぼくもこうなりたい」と
思ったのでしょう。私が出会ってきた多くの悪徳僧侶…
他の宗派をけなしたり、他の仏様を粗末にしたり、信仰に
関心のない人を毀損したりするようなお坊さんにはならないで
いただきたいと願います。

 江戸期の死者の半数は子ども…かわいそうなことです。この
時代は現代のようにありがたい文明が発達しておらず、わから
ない事は全て「神様仏様の思し召し」という陰謀論時代でした
から、拝めや拝めになるのも仕方がなかったのかな…とも
思いました。

 ともあれ、ご子息が、上述したような間違ったひどいお坊さん
になりませんように。

「法事・法要・49日」問答一覧

菩提寺不明、法事を忘れた!

見つけてくださってありがとうございます。お恥ずかしい話です。 祖父の命日も三回忌もすっかり忘れてしまいました。そして、菩提寺不明、故人と私は違う宗派な状態ですが、宗派が違うお寺さんに拝んでもらってもいいのでしょうか。 私は、臨済宗妙心寺派の宗派です。 私の父方の祖父(故人)は、私と同居しておらず、おじ夫婦と一緒に暮らしていました。元々おじ夫婦は、私と同じ宗派だったのですが、おじが仏教系の新興宗教に入りました。祖父はわけもわからないまま、その新興宗教に入っています。 おじの新興宗教入会(?)がきっかけで、おじと他の兄弟で分裂し、音信不通です。 時間がたつにつれ、私の父は故人に、兄弟達は病気に、で、動けるのが私だけとなりました。 おじは新興宗教(先祖供養を大切にしている、とネットに書いてありました)に一生懸命な人なので、もしかすると、法事をしたのかもしれません。宗派によってはしないのかもしれません。しかし、歴代の同じ宗派の先祖の法事をやらなかったことを考えると、祖父も…と考えてしまいます。 三回忌も命日も忘れ、どうしようと悩んでいます。 三回忌に間に合っていないのに法事をしてもいいのでしょうか。 位牌もなにもない、菩提寺もわからないですし、宗派が違うのですが、お寺さんにお願いしてもよいのでしょうか。 唯一わかるのは、お墓です。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

亡き父の年忌法要をあげたくありません

年少のときに母が精神疾患を発病。 父は、大して面倒も診ずに放置。 母は医師の力でなんとか病気がおさまりました。 しかし私が小学生の時に再発。 その後20年間父は、精神疾患を抱えた母を自宅に放置しながら、 自分の給料をギャンブルと風俗につぎ込み、家にはお金を入れない状態が続きました。 私が成人したあと精神疾患について調べ上げ、入院と適切な治療が不可欠と判断し、きちんと面倒を見てくださる病院に入院。先生方のご尽力もあり、母は快方に向かいました。 その後、平穏な暮らしが戻りましたが、数年後に母は末期癌を発病。 母が他界するまで、積極的に治療にかかわろうとはしませんでした。 父は母の遺産をギャンブルで使い果たしました。 そんな父も数年前に他界。 家族を苦しめ続けた父を供養する気持ちなど、まったくありません。 墓石に戒名を刻みましたが、消したいくらいです。 骨も適当に海洋散骨したい気分です。 そんな父ですから、親戚の墓参はまるでありません。 墓は父方の墓です。母も入っています。 父方の先祖はあったこともありません。 相談です。 父の供養をしたくありません。父の先祖なんで知ったことではありません。 寺から知らない先祖の50回忌あげさせられて、怒り心頭です。 なぜ、知らない先祖の供養のために高い金払わされて、会社休んで読経聞かなければならないのか。 父方の先祖代々の墓を適当に処分して、愛する母だけきちんと年忌法要したいのです。 お知恵を拝借ください。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

僧侶として人として

父兄は曹洞宗の住職、副住職の僧侶です。 寺族である母が亡くなりました。 その後四十九日、秋春のお彼岸、一周忌、新盆。 何も連絡がありません。 伯母や従姉妹達にも連絡はありません。 亡き母の誕生日に孫達が実家に集まる事も拒否されました。 理由を教えてくれる事もありません。 こちらからの連絡は直接してはならず弁護士を通すように伝えらています。 法要とは故人を偲び、残された遺族が悲しみをのり越えて生きていくために、心の折り合いをつける大切な仏教行事であると思っています。 その機会を尊敬していた僧侶である父兄に一方的に奪われて 驚きと理不尽さと不安で心がいっぱいです。 今年は三回忌になります。 たぶん連絡は来ないでしょう。 お寺で産まれ、一生をお寺の為に尽力した母があまりにも可哀想で不憫でなりません。 今後、僧侶として檀信徒の方々に何を布教していくのでしょうか。 僧侶も人間です。 間違いも犯すでしょう。 保身に走りたくなる気持ちも分かります。 でも、逃げずに向き合う時は必要です。 やってない。俺じゃない。知らない。覚えていない。分からない。 と逃げ回っていても誰も解決などしてくれません。 誤魔化し、嘘をつき、欺くことをやめて 自分の立場を自覚して誠心誠意、他者に対して心を尽くす事を 人して僧侶として今生を生きて欲しいと思っていますが、 無理な願いでしょうか。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

亡くなった母についての質問です

いつも参考になる回答ありがとうございます。 母が亡くなってから、明日で四十九日となります。四十九日に関して気になったことを質問をさせていただきます。 五七日の翌日、祖母の下へ母が来たそうなのですが、その時母が「私何か悪い事したかな」と言っていたそうです。 調べてみたところ、五七日は生まれ変わり先が決まる日だと書いてあったので、自分は勝手に「生まれ変わり先が、母にとって良くない結果だったのかな」と考えてしまいました。 お坊様は母の発言についてどのように考えますか? また、四十九日までは、母が見守っているのだと思って過ごしていたので気持ちが少し落ち着いていたのですが、四十九日経つと母の魂があの世へ旅立ってしまうということを知り、不安になってしまいました。 「すぐに生まれ変わるのか」「見守っているのか」「修行などをして過ごしているのか」など、様々なことを考えてしまいます。(そもそも四十九日や、その日までの解釈が間違っているかもしれないですが) 旅立ったあとは、何をしているのでしょうか? 色々と考えてしまいすぎて、あまり良くないと思いますが、気になってしまいます。答えられる範囲でいいので、回答いただけると幸いです。 拙い文章で長々と申し訳ございません。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

父の三回忌を教会でしたいと義姉が言います

質問させていただきます。 お寺にお墓のある人の法事を、教会で行うというのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? また、義姉と折り合いをつけるにはどうすればよいでしょうか。 . 私の父は2年前に亡くなり、この度3回忌を行うこととなりました。 そこで私の兄のお嫁さん(以下義姉)が「キリスト教の教会で三回忌をしたい」と言って揉めています。 義姉は2年ほど前にキリスト教になり、教会へ通っています。普段会っても勧誘や説教はされなかったので今回突然のことに驚いています。 . 父が熱心な仏教徒であったわけではないのですが、父の墓は浄土真宗のお寺にあります。わざわざ教会に死んだ父を呼びつけて法事を行うというのは違和感です…。 . そのため それはおかしいのではないか、と義姉を諭すと泣いて癇癪を起こしてしまいました。 義姉の言い分は「教会の方が安く済ませられる」「お寺は家から遠い」「自分の信じていないものにお布施をしたくない」「教会の神父さんにももう頼んでしまったので後には引けない」などです。 . それならお金は払わなくていいし来なくていいとも伝えましたが、そういう問題ではないそうで。 兄は家庭を大事にしており、義姉には強くものを言えません。私も兄の家庭には平和であってほしいです。 しかし今回の話があまりにも平行線であるため、本職の方の意見をお伺いしたく書き込みました。 . 最後に重複となりますが、「お寺にお墓のある人の法事を教会で行う」というのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? 義姉と折り合いをつける方法はありますでしょうか? 私としては先祖を改宗させるような行為はバチ当たりなのではと思ってしまいます…よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ