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他人と自分を比べてしまいます。

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有り難し有り難し 66

昨年夏に男の子を出産し、現在専業主婦をしています。
それまでは看護師としてバリバリ働いていましたが、出産を前に退職しました。

私は20代半ばであり、晩婚と言われいる今、
友達や職場同期より早い結婚、出産でした。

主人は公務員で安定した職業であり、とても優しく、子育ても積極的に手伝ってくれます。

しかし、私は他人と比べてしまうのです。

同期が医者と結婚したと聞くと、
いいなあー、いいマンションに住めるし、
都会に住めるし、羨ましいなあ。

同期が働いてる話を聞くと、
負けたくない!いますぐに看護師として
復職したい!
でも現状は子供がいて、独身のときのように
身軽には動けない。

専業主婦になり、余計なことを考える時間が増えたせいなのか、毎日そんなことばかり考えてしまい、気持ちが辛いんです。

大切なことはお金じゃないし、
いまの旦那さんほどいい人はいないとは思う。
でも、もっといい人がいたかもしれない。

専業主婦だって立派だとは理解しているのですが、やっぱり外で働いている人には勝てない。

など、他人と比べてしまう毎日です。

この気持ちはどうしたら楽になるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当にその人たちが幸せかどうか

私の知り合いのカネモチさんは、超金持ちです。
ですが、不幸です。
お金ってイコール幸せではありません。
日本人って、他の国より便利でしょう。
幸せですか?
便利、利便性って、イコール幸せではありません。
ネットでポチで何でもできる時代で幸せでしょう?
え?そうじゃない?
だとすれば、お金とか、便利さとか、関係ないってことでしょう。
じゃぁ、人は何によって幸せになるのでしょうか。
自分が自分で幸せになるよりほか幸せになる人はいません。
人の幸せはその人の幸せです。
その人の感受する幸せです。
あなたは現在、自分をその行為によって幸せから遠ざけている。
そういう行為こそが、自分を自分の幸せから遠ざけていると気づくと良いです。
人を悪く言ったり羨ましがったり、人と比べて自分はペケだと自分をDISったりすれば、自分はどんどん暗くなります。
だから、そういう行為をしない。
「あしざま」にいうことを、自分にも他人にもしないのです。
そうれをやめれば、心の中で毒は生まれませんから、不幸にはなりません。
お金があろうが無かろうが、幸せになれるのです。
花咲く季節です。
桜には桜の良さ、タンポポにはタンポポの良さ。すみれにはすみれの良さ。
みんな相手の真似なんてできないのです。
自分を咲くよりほかはないと知り、自分を最高に咲いてください。
その為の生き方提示が仏教です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
幸せは自分の心が決めるんですよね。
他人がどうこうじゃない。
すぐには難しいかもしれませんが、
今回のアドバイスを心がけて、
生活してみようと思います。
ありがとうございました。

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