般若心経(1)
今更ですが、仏教の体系が「真理」として「般若経」、「真実」として「般若心経」、論理として「阿含経」でまとまっていると考えていますので、今度は「般若心経」の解釈を試みたいと思います。
「観自在菩薩」とは釈尊が如来になる前の尊称であると思います。
次の「行深般若波羅蜜多時」が菩薩が如来になった瞬間と考えられます。
「照見五蘊皆空 度一切苦厄」 がこの般若心経の結論です。即ち「空(正確には空性)」を発見して、悟りを開いたのです。
「舎利子 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」が第一のキーフレーズです。
「般若経」は「色即是空」だけですが、それは「真理」であって「色即是空、空即是色」が真実です。
色即是空の「空」が真実であれば、空即是色の「色」も真実です。しかし「空」と「色」は別物ですからこの「即是」は定性的な即是で、「物体」は総て「空」の集合体であるという意味です。
定量的にはそこに「縁起」が加わって「色」=「縁起」X「空」、「空」=「縁起」X「色」となります。
「色」は五蘊の中の身体です。身体はこの世限りの命ですから、科学の真実と一致するはずです。アインシュタインはe=mc^2の公式を発表し、広島、長崎の実験でこの公式が真実と確定されたのです。
e(空)=m(色)Xc^2(縁起)と対応します。
「受想行識亦復如是」
「受想行識」は通常総括して「心」と訳されてます。心も「空」で出来ているのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
空だから執着に値しない
空だから執着に値しない。
世の中は執着に値しないものばかりでできているから絶対的な価値はなく、相対的な価値しかない。
つまり人それぞれ好き好きの趣味の世界。
所詮は趣味の世界ならば、必死で守るべきものはない。
守るべきものはないなら失う恐怖は無い。
それでも妄想雑念や執着で恐怖してしまうのが私達人間なので、ギャーテイギャーテイのマントラ(呪文)を使った瞑想に集中することで、妄想雑念を退治して恐怖や悩み苦しみを制御しましょう。
仏教には、真理を悟って煩悩を消すという最終ゴールと、悟っていない人でも煩悩をある程度コントロールできますよという日常生活のテクの両方があります。
般若心経にもその両方が詰まっていますね。
質問者からのお礼
願誉浄史御住職様
ご指導を有難うございます。
今回は般若心経の逐条解釈を試みていますから、いきなり結論を頂いても戸惑います。
とりあえず「空だから執着に値しない」の「空」についてお話をさせて下さい。
漢訳の「色即是空」は言葉足らずで、サンスクリット語では「色即是空性」が正しいようです。
ある宗教学者から次のような説明がありました。
「空の実名」
ところで、空が形容詞か名詞かということに関してですが、サンスクリット原典で言えば、五蘊皆空の場合は「五蘊の自性はみな空(ZUnya)」となり、ここで空は形容詞です。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、諸法空相、是故空中は、いずれもサンスクリット原典では空性(ZUnyatA)であり、これは「空であること・その性質・その状態」といった抽象名詞です。
だそうです。
どうも「空性」は「空」そのものとは違うよです。