自分の執念深さ
一年前に主人に不倫をされ、どん底まで落ち込みました。
月日が経ちますが、忘れられず苦しいです。
相手の女性が美しく若々しいことを自分と比べてしまい、負けた気がしてしまいモヤモヤが取れません。
自分は劣っているから不倫されたんだ。もっと可愛く綺麗に生まれてきたかったと思ってしまいます。
この一年、主人に怒りをぶつけたり、自分を慰めようと好きなことをしてきました。でも、もうそんなこともやめて過去のことだから水に流そう、嫌なほど考えてきたので、もう考え込まず、今と未来に目を向けようと気持ちを切り替えようとするのですが、やはり思い出し、悲しい気持ちや自分は女性として劣っていることが心から剥がれません。
もう忘れたいのに普通に暮らしたいのに苦しいです。
自分の執念深さ、相手の女性への劣等感に嫌になります。
過去のことをどのように忘れたら良いかご助言をいただけたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
少なくとも、あなたに苦しみが残っていることは伝えてみましょう
おはようございます。不倫された…ということ自体は過去のことであり、取り消すことはできません。
今は、そこから何を学ぶのか、ということでしょう。
仏教では、「物事は因と縁によって起こる」と考えますから、その両面で見直すことが肝要と思います。因と言っているのは、あなたが持っている物事、そして旦那さんが持っている物事。そして縁というのは、それらが置かれた状況の総体です。つまりお互いの、その時その時の振る舞いや対応といったもの。
その2つのうち、どちらが自分でコントロールしやすいですか?恐らく「その時々の振る舞いや対応」だと思います。「あのさぁ」と言われた時に、相手に振り返って話を聞くか、スマホをいじりながら聴くかでは、その後の展開も違ってくると思いませんか?それが積み重なったら…。縁の力は大きいのです。
あなたの嘆く「劣っている部分」は、見る限り前者です。そこで勝ちを狙うよりも、日々の関わりの中で心掛けを持つことの方が、私は大切だと思います。前者で勝ちを狙うのも悪くないですが、「勝った!」というのも慢心を生みがちですから。
あなたがこうして過去のことを相談するのは、現在まだそれが尾を引いて苦しいからですよね。それは旦那さんに伝えても良いと思いますよ。ただし、それは次の文章とセットがよろしい。「私自身も貴方を大切にしていなかった面があったかも知れない。それはごめんなさい。だけど、私はまだ苦しみが残っている。貴方に全責任があるとは思わないけれど、苦しみが残っていることはわかって欲しい。貴方に解消してくれ、というのではないけれど。「そうなんだね」と受け止めておいて欲しい」
こういった「自分を全否定されたんじゃない」「永続的なものではない」という受け止めをすることを、心理学では楽観的と呼びます。