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そんな人が、トップに⁉︎

回答数回答 2
有り難し有り難し 39

子どもの学校のPTA、大変でも、楽しく活動させてもらってきました。

さて、新年度の人事です。
ある女性の方が、内定した。それから4ヶ月後の来月6日には、総会で承認の予定。
待ってください‼︎

それはそれは、異性関係が派手な事が発覚。

さらに驚く事、相手は仲間内の3名と、 4人目は仲間内の夫。

待て待て、公認(⁉︎)だった彼氏も居るし…

私は、そのような方とは一緒に働きたくはないです。
どのように解釈、切り替えれば良いか?また、行動を起こしたら良いか?

教えてください。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

反対なら具体的で現実的な対案を

 なるほど。そのような人がPTA会長さんになるとは、と思いびっくりされているのですね。

 でも、「派手なことが発覚」となっているところを見ますと、内定を決めた人たちもそれは承知の上での決定だったのでは?仲間内のようですし。それにもしかしたら、やっかみによるただの噂かもしれません。
 どのような行動があったとしても、その人には、それ以上の人望や行動力があるから選ばれたのではないのでしょうか?

 政治の世界でもそうですが、、具体的な対案を持たずに、ただ「反対反対」と、反対ばかりしている政治家さんもいますよね。それでは前に進みません。もしあなたが、その会長候補さんにどうしても反対なら、具体的に「この人」という人を持ってきて提案したらいかがでしょう?

 それでももし、イヤな人が総会で承認されたら、それは多数決です。その決定に従い、私情ははさまず、やるべき仕事をきちんとしましょう。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

問題はその人ではなくあなたなのです!

本当の問題は、実は「あなた」なのです。
え!?(゚Д゚)と思われると思います。
ですが、考えてみてください。
あなたは自分の価値観で好き嫌いを生じて、この人にはPTA会長にはなってほしくない!…と心のお腹で問題、イライラ、煩悩、抵抗感を起こされている。これがあなたの、あなたの中の、あなただけの問題です。
え?(゚Д゚)?悪いのはソイツでしょ?
と思われるでしょうが、仏教においては問題は他人の方ではなく、
まず、その人を「問題にしているあなた自身」をこそ、問題にするべきなのです。
なぜなら、今後もそういう事があるごとにあなたはイライラされたり、許せない気持ちが沸いたり、苦しくなっていくでしょうから。そこから解き放たれるのが心の自由の道、仏道です。
こう考えてみてください。
もちろん世間的には、そういう人がPTA会長に就任するのは望ましくない、という事はもちろん当然でしょう。( ˘ω˘)ソリャヨクナイヨネェ
ですが、それでも、まず、本当に問題にすべきは「ああ、私はいつも人の事で自分の正義感や意見を強く足付けたり当てはめてしまう事で自分が苦しくなっているのだなぁ」と。
まず、そこを自覚なさることです。
そうした上で、あらためてその問題に対して、冷静に対処なさってみてください。
おのれの感情に支配されているうちは、そういう問題も感情的になって冷静に対応できなくなってしまうからです。
おのれの心を冷静に統治、治め得た【落ち着き】があれば、より冷静に対応ができるはずです。
さて、心が納められたところで、その人事に関する一番の力のある方に、その方の不倫の事実を語り、大火事にならない内に退いて頂くことを提案いたしましょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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