境界性パーソナリティ障害で人と接しづらい
数年前に境界性パーソナリティ障害と診断されて、いろんな方法で心を整える実践をしてきましたが、怒りのコントロールが下手で、たまに人を不快にさせてしまいます。
ネットでは、「境界性パーソナリティ障害の人からは離れろ」といった記事が多く、こんな自分は人と関わらない方が良いと思いどんどん引きこもるようになってしまいました。
極力人と関わらず、自分の心が元気な時だけ関わるようにして、その他は一人でいるので随分孤独になっている気がします。
孤独は好きですがあまりにも一人の時間が長いと今度は妄想が増えて不健康な気がします。
自分の心が元気な時はあまりなく、ほとんどの時間が憂鬱なのですが、人に元気をもらうような依存する生き方はしたくない場合、他人に迷惑をかけないためにもこの生き方がベストな気がしますが、最近寂しくなってきました。
明るいものの考え方をすれば良いと思い、コメディを見たり、本を読んだり自分に優しくしたり努力していますがちょっとしたことですぐに暗くなってしまいます。
少し人と接するだけで相手を不快にしてしまう、迷惑をかけてる気がしてしょうがありません。
かと言ってずっと一人でいるのもしんどいです。
たまに消えてしまいたくなります。
どうしたら毎日楽しく過ごせますか。
また、人との距離感はどのくらいだと健康的でしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
わかろうとしてくれる人と話すと、気持ちも穏やかに安心へ
自分でもどうしたらいいのか、気をつけていても、考えていても、思うようにいかないのですよね。周りにもなかなか理解されず、また周りを巻き込んでしまって、人が離れていく。これ以上、誰も、私自身も傷つきなくないと、引きこもる選択をしてこられたのですね。
自殺企図や自傷行為をしてしまうことはありますか。治療で寛解していけるという報告もあります。
NHKハートネットTVでも、当事者の生きづらさが紹介されていました。あなたと同じように、一人で抱え込むと孤独を感じてしまいますが、こうして話せる場所があることで、あなたの気持ちをわかろうとしてくれる人や、どういうときに怒りが湧くのかも誰かに聞いてもらうことで、気持ちが鎮まったり、行動を改めていくヒントに出会ったりするかもしれません。
ハスノハにも、いつでもお越しくださいね。ネットを介して、あなたと繋がっています。あなたのそばにいますよ。わかろうとしてくれる人と話すと、気持ちも穏やかに安心へと変わっていくのではないかしら。
人間の脳は元々、主語がなく、自他がないことを学ぶ。
坐禅をすると現実「だけ」がメインになり、冷静に現実を認識して、傷つく心が生じません。なぜなら心が苦しいのは現実・事実ではなく想念の作用だからです。
人間の脳は主語がないといいます。自他がない。
わかりやすく言うと、人生は一生、この自己の身心という鏡、ディスプレイにうつしだされていることオンリーで、全部脳内わがこと劇場でもあります。
そのわがこと劇場にいらぬおしゃべりなコメンテーターや我の強い司会者が居座ると人間は心を病みます。
たとえば、
(;'∀')あの人がこう思っているんじゃないか👉という我
(;'∀')ああ、今日も行きたくないな…どうせ…👉という我
(;'∀')ああ、私は境界性パーソナリティ症なのかァ👉というネガティブな意味づけをしてしまっている我のジャッジ
事実は人を傷つけない。
外で鳥の声がする、蝉の声がする、物音がする…、
それを聴く、受信する、耳というマイクで拾って全身で体感している場所、箇所はどこでしょうか?ここです。これです。自己の身心です。
誰かのことを考える。ああ、いやだなぁとコメンテーターがこけおろす。スタジオにはその人はいないのに。現地でもないのに。
そういう活動をしている箇所はどこでしょうか。みんなココですよね?
聞きたくないこと、見たくないことでも、見えてしまう聞こえてしまう。
それをする中枢はどこでしょうか。みんな脳です。
脳は元々主人公、主語、私とか、自分ということがないのです。いつしかここを自分だ私だと強く思いこむようになり自分保身意識が強くなってしまうと、自分の思い通りにならないと面白くなくい、凹む、ロス感、ああ…敗北感…喪失感が生じる。
でも、もともと脳みそは起こったことだけ。私だ、あの人なんてことを認識しない。だから、悪口を言えば人の悪口でも自分が悪口ガスで汚れるのです。
人が痛い思いをして可哀想。共感能力高いと見知ぬ人のことでも可哀想すぎて泣いてしまう程です。あなたはそのように繊細な人なだけですよ。
よって、思ったことに負けないようになる為にも、自分に厳しい司会者感情を捨てる。そして現実の誤認(自分流に思う、脳内コメンテーター)に耳を貸さない。
そのためには心を鎮めて自分の脳内おしゃべりを優先させない心の処し方、坐禅を学ぶ。坐禅とは居るまま、そのまま、何も心の中で起こったことに手をつけない処し方のことなのです。