生きているのが辛い
先月夫の一周忌が終わりました
365日ずっと涙しておりました
夫が行くべきとこに行けないと周りに言われていましたが
どうしても涙してしまいます
夫に{不幸にする為に涙しているわけではない}と謝りながら涙しております
1年たってもまだ信じられない気持ちです
遺影をみてるとただいまと帰ってきそうな感じです
最近はパートをしているのですが辞めたいと思ったり、夫のもとへ行きたいと思う気持ちが強いです
会社側には辞めたいと伝えたのですが止められてます
36年務めているのですが昨年今まで行っていた所が閉店をし、店舗が変わりました
仕事の内容は同じなのですが店舗になじめなく適応障害の診断うけました
仕事へ行くと思うと子供みたいですが吐き気したりと辛いです
夫がいない、毎日が辛いのに生きている意味があるのかと思います
夫は闘病中俺の分まで私が生きていてくれたらそれが幸せと言っていて俺の後を追うとか絶対しないでと言っておりました
死んだら終わりとも言っておりました
終わりなら夫が言っていたのも関係ないかな?と思ったりです
パートが休みの日は1日も外に出ることもなく夫の遺影に向かって話す
毎日です
遺影の傍から離れたくないのです
夫に私はどうすればいい?と問いかけたりと辛いです
お寺とのつながりがないので家には位牌はありません
納骨堂へ会いに行っておりますが家にはサイドボードに遺影ろうそくなどを置いて
お水などをおいておりますがこのようなやり方でよろしいでしょうか?
よろしくお願いいたします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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悲しみと共に、日薬で人生を歩む
はじめまして。亀山純史と申します。
旦那様を亡くされて、ようやく一周忌が過ぎたところです。まだまだ悲しみが癒されることはない時期です。私は愛する人を亡くした悲しみは、立ち直るべき感情ではなくて、いつまでも共に歩むべき感情なのだと、思っています。
「悲しみと共に歩む」とはどのようなことでしょうか。あなたは決して、旦那様の死を悲しまないほどに、楽しい気持ちになりたいわけではないはずです。何年経っても、悲しいときには涙を流していいのです。そのような旦那様への想いは、旦那様にとって嬉しいことではないでしょうか。
ただ、その涙であなたの人生の歩みが止まってしまってはダメなんでしょう。つまり、「悲しい」「寂しい」だけでは、旦那様もあなたに対して、「悲しい」「寂しい」と思うだけでしょう。
悲しみの中にいながらも人生を生きていくために、「日薬(ひぐすり)」または「日にち薬」と言うものがあります。聞いたことがある言葉でしょうか。時間が薬として効く、と言うものです。病死に限らず、震災や事故、事件等で愛する人を亡くした人々は、何年経っても、その愛する人を思い出し涙するも、この日薬(日にち薬)で、日々の生活を歩んでいると思うのです。
人の死に伴う悲しみの緩和は、性急になるものではありませんし、あってはならないことでしょう。時間をかけることで、少しずつ癒されてくることが大切なのです。旦那様と共に、少しずつ。先ほども述べましたように、もしも、1年そこらで、旦那様への悲しみが消えてしまったならば、旦那様は、さぞかし悲しまれることでしょう。
以上が私からの回答です。少しでも悲しみのお役に立てればと思っています。
質問者からのお礼
ありがとうございます
日薬、日にち薬は初めて聞きました
とてもお役に立ちます
心にささります
回答ありがとうございました