友達と遊んでいるとモヤモヤします
友達と話すと心から楽しめないです。ありのままの自分をだせないです。いい人でいなきゃ、普通でいなきゃ、嫌われたくないという意識があります。
原因は、双子の妹と比較されてきた過去にあると思います。妹の方が、可愛くて友達も多いです。友達と遊んでいたとき、私といたらつまらなそうなのに、妹と3人だと嬉しそうにします。私だけコミュ障と否定もされました。また過去のトラウマにも原因があります。私は友達からコミュ障、変わってる、あまりいない顔しているといわたことがあります。
自分と遊んでて楽しいのかな?と自分に自信が持てず自分から遊びに誘えません。妹に劣等感をもつことなく、友達と自然体でありのままに話したいです。
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音や温度差を合わしていくのに何が必要かを考える時。
拝読させていただきました。
複数といるときに自分を出さないことは、周囲のことを気遣っている証拠でもあります。やさしさということです。
そのやさしさを若いとき周囲はなかなか気付かない人もいます。また気づいている人もいるものです。
いわゆる一定の温度感や、一定のリズム感などが同じになるには時間はかかることもあるものです。
若いうちは自身の個性が優先するのが当たり前であり、若い時分より他人の心を読むことは個性が出し切れていないこともありますね。
比較はしていかないことは必要ですが、どこかで比較することも人にはあるでしょう。また探究すると嫉妬などにも心理は行き着きますが、それだけ自己分析もできているということですね。
自分らしくいられない環境は、面白くないのも当然です。また友達と離れる寂しさや、孤独感になりたくない怖さもあることでしょう。
人は決して強い状態を維持できないのです。友達は複数いれば、同じ境遇にいようとも個性は異なります。
友達が困ったとき、例え失恋などしたときはいつも仲良くしている友達に対し、自尊心などから他の友達に相談することもあるものです。
何かことが生じたときに助けることで、友達はやはり友達としての深味を知っていくものです。
いま多くを悩みながら友達と過ごすことは正解でも不正解でもありません。ただひとつ離れなければならない条件があるとすれば、「利用している友達」なら離れたほうが得策でしょう。
友達はたくさんいないほうが本当にいいんです。信頼できる人が一人か二人いれば十分なのです。
合掌
質問者からのお礼
一定の温度感が同じになるには時間はかかることもあるというお言葉を頂いて、人と比較するのではなく、目の前の人を大切にしたいと思うようになりました。ありがとうございます。