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過去に囚われず今を淡々と生きるには

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有り難し有り難し 33

高校生の時から精神科に通っています。
大学は留年、仕事では休職を繰り返しましたが、紆余曲折を経て、優しい夫と結婚し、仕事は週に3日に減らし、ストレスの減った環境が整ってきたように思います。

しかし、いつも、元気が出ず心はいつも霧がかったような心境で、時たま強い不安に襲われたり、辛さのあまり、死んでしまいたいとまで思ってしまいます。心が晴れやかな日は滅多に続かずあってもすぐに元に戻ってしまうのです。

最近、主治医に、もうこれは病気のせいだから仕方がないのでしょうかと質問すると、自己評価が低いことが根本にある。まずはそれに気づくこと。というアドバイスをもらいました。

アドバイスを受けて、なぜいつも自分に自信がないのか、なぜいつも苦しいのか、考えてみました。
そして、気づいたことがあります。
幼少期から学校では仲間はずれさにされ、家庭ではすぐに怒鳴る厳しい父がおり、初めての彼からはDVに遇い、性的なトラウマもあることから、常に安心できる場所がなく、嫌われたくない、怖い思いをしたくない一心で過剰に人の機嫌を取ろうとし、本当は元気が出ないのに、無理をして明るく振る舞う癖が、今も自分を疲弊させ苦しめているのではないかと思ったのです。

どうしたらそんな癖を辞めて、生きやすくなるのでしょうか。
元気じゃなくても、淡々と生きられるようになりたいです。

2023年9月21日 12:06

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたは、あなたであっていい。そんな声だけを受け取っていこう

まずは、そこに気づけてよかったと思うのよ。ずっと縛られたような状態で萎縮して生きてきたのかもしれないね。

あなたは、あなたであっていいのだもの。
ちゃんと「あなた」を愛し、認めてくれる人がいる。あなたが大事だよと想ってくれる人がいる。もう、あなたを縛る人はいない。

あなたを大切にしてくれる人の声は、とても大きく心強いのよ。そんな声だけを受け取っていきましょう。少しずつでも、あなたがあなたであることに自信を持って。あなたの想いを聞かせて。私はこうしたいって、話してほしいわ。あなたのことを、もっと知りたいわ。
顔を上げていけばいいわ。仏様も私も、あなたの味方よ。

2023年9月21日 13:53
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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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「自分」の価値はゼロ

「自分」を守ろう守ろうとすると、苦しくなりますね。
「自分」という存在は概念上の仮の存在。
実際に生きている肉体の細胞たちは、数か月で入れ替わっているので、数か月前の自分と今の自分は、実は別人なのです。
記憶データを受け継いでいるから同一人物だと錯覚しているだけ。
たとえば、150年前の先祖の悪口を言われても、令和の自分には直接関係ないと、どこか冷静に聞けます。
そんな感じで、昨日までの自分が他人からどう思われたとしても、それは過去のプレイヤーの責任。
今日の私というキャラを操縦しているプレイヤーは、昨日の「中の人」とは別の人物だったと思いましょう。
今日、今ここであなたは、今日のゲームを、今日与えられたキャラと環境の範囲内でプレイすれば良い。
どうせ人生は、できることしかできないのですから、今できることをやれば合格人生です。
と、思うようにしましょう。
あとは、昼夜逆転を避けて日光を浴び、散歩やジョギングなど身体を動かしましょう。
体力アップするだけで人生が楽になる場合があります。
疲れていると精神的にもへこみやすい。ならば、体力をつけて疲れにくくなるだけで、精神的にも余裕が出るはず。

2023年9月21日 12:48
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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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愛着不安の克服

みみ 様 相談ありがとうございます。

自分に自信がないのは、あなたのせいではありません。あなたに責任はないのです。
幼少期より、「すぐに怒鳴る厳しい父」は、あなたに恐怖を与えます。失敗すればあなたが悪いと怒鳴られれば、自分が悪いと思うようになります。自己肯定感が下がります。本来、家庭は安全基地であるはずで、失敗しても受け入れてくれて、その後失敗しないようにあなたを支え、あなたのすべてを肯定し、安心安全感を得られるところです。
でもその反対は、安心とセットで恐怖を植え付けら、ご機嫌を取るように人の顔色を窺うようになります。そして学校でも、他人は恐怖の存在と意識せずに感じていますから、人と仲良くなるのが苦手です。対話も苦手ですから、いじめられたりもします。でもあなたがそうなりたい訳ではないので、あなたに責任はありません。
愛着に不安を抱えていますから、異性にも依存しすぎたりして、依存が面倒くさくなる相手には暴力を振るわれたりします。これもあなたに責任はありません。
すべては安全基地を得て安心安全を充分に感じてこれなかったという愛着の不安からきていると思います。
この愛着不安の克服がカギだと思います。
今の家庭を安全基地と思い、安心安全を感じるようにしてみてください。
あなたにとっての大切な人に徹底的にあなたのすべてを肯定してもらって受け入れてもらってください。優しい雰囲気や温かい雰囲気であなた自身が受け入れてもらった、私は私のままでここに居ていい。ここに居て安心安全だ!と感じるまで、大切な人に抱きしめてもらってください。頭をなでてもらってください。
それを毎日、少しでもいいので続けてみてください。だんだん良くなっていくと思います。やがて自己肯定感を意識することなく、自律してる感じるときが来ると思います。
もし、安心安全を感じるのが難しい時はどうぞ遠慮なくご相談ください。
参考にしてください。一礼

2023年9月21日 22:39
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おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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「過去にとらわれる」問答一覧

過去を引きずっています

何度か同じ質問して申し訳ありません。僕は10年前に中学3年生(高校受験生)2013年の10月〜11月ごろ五ツ木の模擬テスト会で理科か社会(科目はあいまいですが…)の科目の時に左隣(あいまいです)の人が回答用紙を立ててきて他人の答案が見えてしまうカンニングを犯してしまいました。その時、座席が近くてたまたま見えてしまいました。 お坊さんから事故やと言われてみんなカンニングやってるのとお坊さんでもカンニング10回以上あると言われても気になります。まだこのことをまだまだ引きずってしまってます。本当に人生を狂わせたカンニングしてしまったのかなとも思います。犯罪レベルのカンニングしてしまって本当に気になります。あの時、重大なことをしたんだなと思ってきました。 僕の周りでもカンニングしたことがない人が多すぎて僕だけ他人の答案が見えてしまうカンニングという重大な過ちを犯してしまったので気に病んでしまいます。 そのことで引きずって生きてしまっているのが辛いです。過去のことなので忘れてる部分もあると思いますが。まだまだトラウマとして残っている部分があります。 カンニングというルール違反してしまってパニックになり、試験監督にもそのことについて手を挙げましたが誰も反応してくれなくて不思議な気分になりました。 お坊さんからは気に病む必要ないですよと言われても気に病んでしまいます。巡り合わせやということは分かっています。神様や仏様に謝っていてもまだ思い出してしまいます。それが本当に気になって気になってたまりません。 そのことを塾の先生、両親、学校の先生誰にも言えなかったことが後悔です。五ツ木の模擬テスト会でその科目や全科目が0点になっていないことが不思議でたまりません。全くペナルティー(罰)も受けてません。カンニングしてしまったら受験資格を失うことや全教科0点と精神科の先生も過去のこと忘れたらと言われていますが本当に忘れられず辛いです。また、日本人は過ちすら犯したことがない人が多すぎて辛いです。それを引きずって生きるしかないと思ってしまいます。 どうすればそのことを忘れたりそのことを気に病まないように生きていけるようになるのですか?

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何年も苦しいです。

何年も苦しいです 言葉足らずな面もあり、うまく伝えることができるのか不安ですが最後までお読み頂けると嬉しいです。 何年も同じ悩みで苦しんでいます。 10年ほど前、夫と幼い子供2人を連れ、地元を離れ知らない土地へ引っ越しをしました。 マンションを購入したのですが、引っ越してすぐに慣れない土地でのストレスと休めない育児でノイローゼのようになってしまいました。 マンションの住人は小さい子供がいる家庭が多く、挨拶をしていると遊ぼうと声をかけられることが増えていき、最初は相手に合わせて付き合っていました。 ですが、もともと1人が好きな性格もあり、誘われることにどんどんストレスがたまっていきました。 ノイローゼのような状態である上に、1人の時間が取れないストレスでついにおかしくなってしまい、仲良くしてた人に対して嫌な態度をとってしまいました。 はじめから、私は1人が好きなのでそっとしておいて下さいと言えばよかったのですが、若さもあり経験値が低く、どう断ればいいかわからなかったのです。 その人だけでなく関係ない人にまで無愛想にしかできなくなってしまい、すごく周りに嫌われてしまいました。 その後、自分のしてしまったことの重大さに気づき、謝れる方にはあんな態度をとってしまった事を謝罪したのですが、その後もなんとなく気まずいです。 今現在ご近所の方々とは挨拶をする程度の関係ですが、内心ドキドキしながら接しています。 挙動不審になってしまうことも… 自分が気持ち悪いです。 そして、毎日なんであんなことをしてしまったんだと自分を責め続け、もうすぐ10年が経とうとしています。 こんな自分は生きている資格がない、幸せになってはいけない、人を傷つけてしまった、何もかもうまくいかない、家族にも迷惑をかけてしまったと自殺も考えましたが、私が死んだ方が家族にとって迷惑になると思い、踏みとどまりました。 今は症状が出ていないですが、そのことがきっかけで鬱病にもなりました。 今後どのような心持ちで生活していけばいいのか、アドバイスを下されば幸いです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 16
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過去の自分について

こんにちは。初めて質問させていただきます。過去の自分の言動についてです。  私は両親が共働きで、小さい頃から祖母の家で面倒を見てもらっていました。私のいとこも祖母の家で暮らしていて、よく一緒に遊んでいました。祖母の家には祖父の母親の仏壇があって、祖父は毎日その仏壇に手を合わせて供養をするように早口で何か唱えていました。小学生だった私は、その仏壇がある部屋に誰もいなくなった後、祖父の真似をして私も仏壇に話しかけるということをしていました。その時私は、何かしらを話し終わった後、最後に「いとこが早く死にますように」と言っていたんです。仲が悪かったわけではなく、むしろ毎日遊んでたぐらいだったのになぜかそんなことを、覚えてる限りですがしばらくの間毎日言っていました。もちろん本気で死んで欲しいと思っていたわけではありません。その当時は死というものをあまり深く考えておらず、このこと以外でも、何かに無性にイライラして独り言で「死ね」と大声で言っていた時期もありました。(今はそんなことは無くなって、いとことも仲良しです)百歩譲って自分で思っているだけだったらまだ心の中にしまっておけたのですが、身内の死を、しかも先祖の仏壇に願ってしまっていたので罪悪感がすごいです。かと言って、本人に直接言っていたわけではないので本人は知らないですし、仏壇の人に謝るのもなんか違うなと思います。  いまさらどうしようもないのはわかっていますが、どう気持ちを整理したらいいでしょうか?

有り難し有り難し 4
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ