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掛け軸の開眼供養をしないでもよいですか?

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真言宗の掛け軸
私以外の家族は信仰心が薄く、神棚と、棚の上に家族の宗派の仏壇がありますが、
私は真言宗が好きで、念珠も持ってお経も毎日読んでます。
ただ仏様を見て読みたいので
真言宗の掛け軸を自分の部屋に置きたいと思っていますが、ダメでしょうか
棚の上に仏壇なしになりますが……

本尊様はどの仏様でも良いですか?(個人的にお不動さんが大好きです)

また魂入れをやれないのですが、掛け軸に悪いものが入ってしまうのは嫌なので、できないなら、買わない方が良いでしょうか……?
やはり開眼供養は必要ですよね……

2023年9月21日 20:09

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

天眼 法眼 慧眼 仏眼 正法眼 

大事なことは形の上での開眼をするということよりもあなた自身がきちんと仏眼を開くことです。
仏教を学ぶ、仏教を信仰するということは、言い換えればこの自分自身をより豊かに、大きく、聡明に、やすらかに、やさしい存在へと教導することといえましょう。
人間世界には人間の人間の都合による価値観、人間のものさしという人間のまなこというものがあるでしょう。
それは人間の目。人間のルール。人間の開眼でしかない。
目が開いていても見逃す、見過ごす、見落としている、気づかないという目もある。
たとえば、その掛け軸がいくらであるかとか、価値が高いとか、誰が書いたからこの掛け軸はどうだとか、それはみんな人間の価値観、人間の目のつけどころ。
あるいは僧侶の中にもきちんとした見識を持っていない者もいて形の上での形式的な開眼供養をして儲けようという輩もいるかもしれません。
そういう僧侶のもとで開眼してもらっても本当の意味での開眼供養にはならないと私は思っております。
ところが仏の眼、真実の開眼というものは違う。
私であればどうせ開眼をお願いするのであればきちんとしたお坊さん、先生と呼べるような立派な活動をされているお坊さんにお願いするとよいと思いますよ?お医者さんだって大事な人がガンにかかったのに、地元で評判の悪いお医者さんにお願いしても形式上の薬だけ出されて治るもんも治らんでしょう。
医者も僧侶も塾の先生も野菜も水も米もパンもエアコンも葬儀社も石屋も選ぶ時代です。
出所不明な意味の分からない開眼をするより、理知的できちんとした心眼を開いてくれる開眼を真剣に求める。
せっかく大事にしたい掛け軸、一生ものでしょうから、あなたの信仰する宗派のお坊さんで、ちゃんとした見識をお持ちの方に開眼供養をお願いされることです。
開眼をしなくてもいいかなぁというのもそれは人間の物差しでしょう。
観音に五眼あり。
👁真観。真実を見通す目。物事の真実真相を見通す力。
👁清浄観。人間の価値観や人間世界のルールに色付けされない清らかな眼。
👁広大智慧観。人間世界の小さなルールに縛られることなく、従来の小さな自分から脱却した広くおおらかな救いを見出す力。
👁悲観。人の悲しみ苦しみの声に同調してそれを取り除き救いをもたらす力。
👁慈観。人に安らかな心、安楽、聡明な心を与える救いの力。
これを機に仏の眼を開きましょう。

2023年9月22日 18:59
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

ありがとうございます。真観。清浄観広大智慧観 観音経で聞いたような気がします。
お言葉大切にします。

「供養全般」問答一覧

深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 5
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