幸せになる資格ない人達
世の中には幸せになる資格がない人間がいます。
『目先の何かに依存したり、自分より力ある人間にすがったりしてそれを振りかざすように俗なき人々を蔑む人間』
『不満や劣等感を抑えようとせず、自分を大きく見せて、見下して、差別したりして俗なき人間を虐げる人間』です。
ですが、周りにいる人達の中には『どんな人間にも幸せになる権利がある』ーっと、綺麗事にもならない机上の空論を言い出す方もいます。
何故、あの様な低俗でも幸せに価値があると言い出すのか?
何故、上記の二種のろくでなしも幸せにしないといけないのか?
どうか教えて下さい。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
発展途上中の人間性も最上に到達するとよい作用を生む
まず、論というものは論。仮の話、仮定であったり、一部・側面しか見えていなかったりするものです。
個人の頭の中で作られた仮の考えですから、一面的なものの見方でしかないという面もあります。はたして万人があなたのその論に納得できるかどうか。
その論が本当に人々を救う、納得させる、誰もが感心する、ああ、その通りだと思えるものであるかどうかを問うべきです。およそ、そういう論は危ない考えだからよくない、その人にも愛する家族がいるから、結果、良いことを生まないし不健全だからなどの理由で世間一般からは嫌厭されてしまうかと。
低俗いいますが、人を幸せにすることは低俗とがいえないですが、それでも人を幸せにする活動にすらも低俗なお考えもあるのでは?
であれば、その人を幸せにする活動も低俗目線からさらに発展させ、どうしようもないと思えるような輩をも向上、改良、幸せにできる方法に向けて向上させていけばあなたは真に低俗に染まらなくなれるでしょう。
本音を言えば、こういう非道な…こんな酷いことをする人たちは…、という人はこの世にたくさん存在するでしょう。ですが、そういう悪事、不正、犯罪、非道をなす人も、そういうことをせざるを得ない心理に追い込まれていった経緯もある。その結果としてそういう悲惨な結果に至ったわけでしょう。ですが、どろどろに染まった人間性はそれで終わりでしょうか。さらなる向上が願われるべき存在でもあります。あなたのその考えもぶっちゃけ、どろどろしている気配もありますよ。おしゃか様や祖師たちがそういうことを言ったらある種ホラーでしょうに。
実際に、イメージしてみてください。
💀仏は次のように語られました…
(# ゚Д゚)…世の中には…幸せになる資格などない人間がいる…。
信者 ざわざわ…
(# ゚Д゚)何故、あの低俗、ろくでなしも幸せにしないといけないのか…!
信者 ざわざわ…(;゚Д゚)(・.・;)
レベルは異なれども、どんな人間も同じ人間であり、レベルの違いこそあれ人間は誰もが同じ発展途上中の同胞なのではないでしょうか。
心情的にどうしても許しがたい人間がいるという事はよくわかります。
ですが、そういう人間を放置していても、いつか害悪を被る人たちも出てくるでしょう。だからこそ、ともに向上しあう、お互い未熟だからこそ共に…という姿勢で学びあう、磨きあえばいいのではないでしょうか。
知能の低い動物でも幸せになれる
人間を噛み殺す動物でも、幸せにはなれます。
ただし、たまたま猟師に出会って撃ち殺される場合もあります。
敵を作れば恨まれる。
悪意はなくても逆恨みもあるし、妬みを受ける場合もある。
人間社会では幸せになりにくい、能力が低い人もいる。
人間に飼われるペットは、知能は低いけれど、もしかしたら幸せかもしれない。
つまりは、能力と住む環境がマッチすれば、野蛮な猛獣でも幸せになれます。
質問者からのお礼
素晴らしいお言葉、ありがとうございます。