諸子百家の古典の中に仏教の精神はある?
私は仏教は漢字が難しいし、漢文も書き下し文もろくに読めず、仏教用語を知らないので、よく分かりません。古典の現代訳を読んで学んできました。「上善は水の如し」「和を以て貴しとなす」「戦わずして勝つ」などの言葉に感銘を受け、主にこの3つの言葉を、生きる指標にしております。この言葉は仏教の精神にも通じるものでしょうか?ご相談を受けておられている先生方はどう思いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どういう文脈の中で、どういう意図を以て語るかが、大事
既に出ている回答で十分かと思いますが、蛇足ながら私見をのべさせていただきます。
タイトルに書きましたように、覚鑁さんの取り上げた言葉はそれぞれ深い意味を持つ良い言葉だと思います。私は仏教の精神に通じる部分はあるように感じておりますが、軽々とは断言できないとも思っております。何故なら、タイトルにも書きましたように前後の文脈を良く読み取らなければならない場合も多いですし、どういう意図のもとに其の言葉を用いたのか点検することも時には必要なんです。我田引水という言葉があるように、仏教の教えと言われる言葉だって私的欲求や利得のために都合よく使われる場合だって多いと思います。
以前、私は寺の会報に下記のような誌上法話を書きました。
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「知足」の教えが歪められる時
この「満足する」という説明が、「満足しなさい」という説明に変わると危険なんです。仏教の教えでなくなるのです。この点は気をつけなければいけないんです。
25年くらい前に全国紙A新聞の朝刊に次のような粗筋の4コマ漫画が掲載されました。
1コマ目―会社のオフィスで、「そろそろボーナスだね。」と社員たちが雑談しているのを社長がドアの影から聞いている。「何とか安く抑えられんかなあ。」と社長は思案する。
2コマ目―社長「うん、いいアイデアが浮かんだ。」
3コマ目―今日は社員研修。社員たちが研修室に入って行きます。
4コマ目―今日の研修の講師は和尚さんです。テーマは「知足について」
この漫画の作者は大好きな漫画家でした。でもこの四コマ漫画を読んで悲しくなりました。漫画の事とは言え、ボーナスを出し渋る経営者の片棒を担ぐようなことを坊さんがしてはいけないなあ、と思いました。 仏様の教えが、人の思惑によって都合よく利用されることがあってはならない。強く感じました。
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「花は愛惜に散り―洞林寺住職のブログー」
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12510254883.html
我々人間には自分勝手で危うい面があります。座右の銘を身勝手に解釈したり、本来の意味を歪めたりする危険性を持ってます。覚鑁さんにはそんな意図は全く無いと思います。それでも、やらかしてしまう。それが我々人間というものです。自分自身を見詰め直すことを怠らず、常に「座右の銘」を良い方向に活用されることを願っております。
どのように受け取り実践しているかも大事だと思います
言葉はある規則にしたがって組み立てられる音と形です。その音と形を使ってAという人の保持するイメージやアイデアをBという人に伝えるわけです。
ですが、どうしてもAさんのイメージやアイデアをそっくりそのまま音と形に置き換えることはできず、Bさんも音と形からそっくりそのままイメージやアイデアを再生することはできません。言葉には表現の限界と解釈の揺れがつねにつきまといます。
ですから、言葉の中に確固としたイメージやアイデアが内蔵されていると考えるのは少し注意が必要です。
逆に言えば、全く関係のない言葉の中にも別のイメージやアイデアを解釈し見つけ出すことも可能だということです。
山田無文という禅のお坊さんは「禅語といっても特別のものがあるわけではない。聖書でも毛沢東語録でも提唱に使える」と言ったそうですが、「禅語」という何か特別のありがたいシンボルがあるわけではなく、受け取る側が注意してみれば、どんな言葉の中にも禅のイメージやアイデアを見いだすことができるということだと思います。
仏教の経典が中国に伝わって漢訳される時に、もとのイメージやアイデアを表現するため仏教以外の思想哲学の用語が使われたこともあります。また、その逆のケースもあったでしょう。
法華経の観世音菩薩普門品の中に、観世音菩薩は人々に仏の教えを説くために様々な姿になって現れると記されています。仏教以外の宗教の本尊様や怪物の類の信者に対してもその信じるものの姿になって現れて説法するとされています。
ある言葉が仏教の教えと通じているかどうかを知ることも大切ですが、その言葉を受け取って指標としている自分の生活が仏教の教えに沿っているかどうかを意識することも同じように大切だと思います。
質問者からのお礼
ご返答感謝いたします。言葉は受け取り方によって変わるのですね。ただ仏教の教えに沿っているか、どうか、と言われても、ややこしくて、よく仏教の教えが分からないのです。
吉田様、ご返答感謝いたします。TPOに合わせて、柔軟に原則を活かさないとならないという事ですね。相手にとって良い方に行くということを目的として。お坊様は仏教の教えを初めはどう学んだのでしょうか?何か仏教に興味ある初学者が読むといいご本など、あるのでしょうか?