友だちのともないかた教えてください。
大切な友だちが、1週間前に亡くなりました。生前、わたしは彼女と、毎日毎日メールやLINEで連絡をとり合ってました。電話も週に1〜4回は、話していました。
急に連絡がなくなり、わたしの夢の中に、初めて彼女が現れたりして、わたしは益々心配になっていました。音信不通になって4日後、娘さんから連絡をもらいました。彼女は亡くなっていました。
彼女は、友人たちとお酒を飲みに行き、帰宅後に家族とトラブルがあったようです。深夜に帰宅してきた娘さんが発見したようです。すでに息は無く、彼女はひとりぼっちで亡くなったようです。
その悲報を聞き、すぐに御線香と御水をお供えしていますが、今は彼女の写真や、短時間ですが好きな食べものもお供えしています。親族では無い場合、ここまでの供養はいけない事と母から注意を受けたのですが、やはりいけない事でしょうか?
わたしは彼女の死が、うまく理解できず、1日に何度も泣いてしまいます。こんなに心の整理が出来ない事は、初めてです。
生前も、彼女はわたしに、「血は繋がっていないけど、きょうだいとか姉妹だよ。」って言ってくれて、わたしもそう思っていました。でも、こんな事になる事は、防げなくてすごく悔しいです。
お互い遠く離れている土地に住んでいて、わたしはまだ出産して2カ月半で、身動きできないので会いにも行けていません。本当は、彼女とまた電話したい会いたいと、そう思っています。
それでは、彼女の成仏の妨げになりますか??
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
手を合わせあう
かなこさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。
非常に親しくしていらした友人が、若くして突然お亡くなりになったとのこと。姉妹と仰るほど親しかったのですから、すぐに心の整理が出来なかったり、涙を流してしまうのは当然のことと思います。
悲しみが完全に消えることはありませんし、落ち着くまでにも長い時間が必要です。友人とは何年の付き合いでしたか? 5年? 10年? 付き合っていた時間が長いほど、受け入れる時間も必要なのではないでしょうか。
かなこさんのご自宅で、写真を飾って、お線香やお水、好きな食べ物をお供えし、手を合わせているのでしょうか。地域や宗派によって違うかもしれませんが、私は問題ないのではないかと思います。
お母さまが仰るのは、あまりに娘(かなこさん)の悲しみが深い様子を心配してのことだと思います。でも遺影にお供えをし、手を合わせることは、行う側の心を少しずつ癒す力もあると、私は考えています。
「成仏」についてですが、これも宗派によって考えの異なるところですが、私はすでに友人は成仏していらっしゃると思います。人生の長短、生き方、亡くなり方、それらを問わず救って下さるのが仏さまの無限の慈悲だと信じているからです。
かなこさんが電話したい、会いたい、と思いながら手を合わせているその時、仏さまとなった友人も「かなこさん、驚かせてすまない、悲しませて申し訳ない」とあなたに向かって手を合わせているのではないでしょうか。
『般若心経』をおすすめします。
かなこさん、こんにちは。
お友達の突然の死、心中お察しします。
かなこさんと、亡くなられたお友だちのことを考えると、『般若心経』というお経を読まれることをおすすめします。
この『般若心経』というお経はよく分からないのですが、昔から不思議な力があるお経として知られています。
読み続けていると、いつのまにか心も落ち着いてきます。
先は試してみることをおすすめします。
無始無終の深遠な関係性に目覚めることも供養
今は悲しみの中に在られて、伝わりづらいかもしれませんが、あなたが救われていくことが彼女への最大のとむらい、供養です。
大切な親友を亡くされて大変悲しいお気持ちであられると思います。
人の命というものは有限であるということをあなたに一番親しく教えてくださったのが彼女かもしれません。越えがたい喪失感、脱しがたい寂しさを乗り越えるには、自分自身の中の彼女、御親友に向き合うほかありません。祖師といわれる方々もあなたと同じように、愛する人との別れ、様々な苦しみを通して、この世で生きていく上での真実を求めました。
苦しみから救われる道を求めたのです。
それが自己に向き合い、自分の思いから救われていく道、仏道です。
私も親しかった友達を数人亡くしてきました。
彼らとの思い出は、彼らが亡くなった時点で止まってしまいましたが、私はその後も成長を続けました。私自身の命は続いていることに気づきました。
私自身の命が続くなかでも、彼らとの関係、心の交流、自己との対話は今も続いています。
日本人が『霊』と敬い、永続する形で弔うのは、最善、最上の関係性であると思います。
供養とはすべてを終わりにしてしまうことではありません。「死んだらもう終わり」としてしまう宗教・思想もありますが仏教は無始無終です。人知、人間の小さな考えの上での始まり終わりという観念の呪縛を離れ、もっと大きな、始まりも終わりも無い縁と時と永遠の関係性という大河(法)に目覚めてください。
亡き方と、生きている私たちとの心の交流は私たちの命がある限り続いていくのですから、どうか、彼女の死を終焉、終局とせずに、あなたがしっかり生き、これからも語らいを続けていって頂きたいと思います。
いつもあなたのそばに何らかの形で語りかけてくれていることに目覚めるべく、心を鎮めていってください。あなたが彼女との関係を終わりにしないことが一番彼女が喜ばれるのではないでしょうか。
まずは産後のケアを第一として・・
かなこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
この度は親しかったご友人との突然のお別れ・・誠に悲しいことでございます・・どうか安らかでありますようにと拙生も祈念、御供養申し上げます。
以前に、まさに「ソウルメイト」と呼べるような親しい間柄にあったご友人を亡くされて方から下記のような問いも頂いております・・
問い「友人の死について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002840364.html
『・・まずはご友人との別れの現実をしっかりと受け入れること、そして、後悔や悲しみの苦しみの現実もしっかりと受け入れることが大切であると存じております。この「Hasunoha」にて打ち明けられたこの機会において、どうか一つの区切りとして今一度、その後悔や悲しみを苦しみきって下さい。・・』
まずはどうか時間がかかっても、ご友人の死を少しずつでも受け入れられるように、心の整理を付けていって頂けましたらと存じます。悲しみを表に出すこと、泣くのを我慢しないことも大切なことかと存じております。そして、まだ出産なされて間もないだけに、ご自身のお身体のこと、そして、赤ちゃんのこと、どうかご優先に安養して頂けましたらと存じます。更なる御供養は少し落ち着いてからでも構わないかと存じております。
そして、御供養のことにつきましては、下記問いの拙回答をどうかご参照にして下さいませ。
問い「親しいかった故人の供養をしたい・・・・」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006868089.html
また、下記の各問いにて「荘厳」に関してお答えをさせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/荘厳
問い「生前の写真にお供え物をする事 再問」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002999474.html
川口英俊 合掌