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父が憎いです。

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こんにちは。
私は実家暮らしです。先月に実は交際相手とよりを取り戻し回復しました。
将来、結婚を目指したいのですが、
親にどう説明するか悩んでいます。
特に父です。
父は以前から心配ばかりで、しかもお金ばかりの観点しか見なくて「お前の収入じゃ無理」とか言って来たり、「子供は持つな」と言って来ました。
それに父の思想、考え方も気に入りません。
その上、思想が偏っていて日本の悪い所ばかりしか口にしません。(いわゆる左寄りです)
私ももちろん、日本には政治、社会的に改善しなくてはならない所、ここは良くないのではと感じる部分はありますが、日本は悪い国とは思っていません。
私は整形外科や精神科によくお世話になっています。安心して医療を受けられる日本に感謝したいです。
父は病気で何度も入院していますが、改善を試みず、全て自分の体質のせいにします。感謝をする所を見たことないです。
また母とよく喧嘩して母は早く部屋に篭れと父に言っていて仲が良くありません。
また今は父は年金暮らしですが、転職癖があり10回以上も転職したみたいです。
今でも父は何か悪いことがあると社会や政治のせいにしたがります。
それらのせいにする前にまずは自分で何かしら工夫をして改善する事はできないのかと言いたいです。
もし、将来の結婚話とかで私の気に障ることを話してきたら父を一回殴りたい気持ちが湧いてしまいます。
これもまた思ってはいけないのですが早く父が逝けばいいのになんて思ってしまいます。
これらを思ってしまうのは悪い事でしょうか?
長々となりましたが、私の父に対する憎しみはどう接するべきでしょうか?もしかすると父の世代的な考え方もあるかもしれません。
ちなみに父は70代前半です。客観的な回答をお願いします。

2024年2月5日 7:31

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あえて父親の考えは尊重 あなたはあなたで独自の存在

人の考え、考え方はそれぞれ個人の考えですから変わりません、変えようがありません、変えられないと思っておくぐらいが丁度よいでしょう。
変えるように働きかけても何十年ものなかで培われてきた考えは変わらないでしょうし、もし変わることがあってもそれは中々可能性が低いものですから、あまり期待しない事です。
あなたの結婚に反対することがあるとすれば、それはあなたがお父さんから反対されても反対もしようのない条件を整えることが第一であって、お父さんはお父さんなりに自分の人生経験上、あなたが今後不幸な道を歩まないように助言として言ってくれているものだと捉えることです。
そもそもあなたがお父さんから見ても万全でばっちりな条件がそろっていれば何も言わないはずではないでしょうか。
だから、お父さんに何というか、ではなくて家族を育てていく重要な役目である夫の立場としても、息子としても「(*'▽')お父さん、自分はもう大丈夫だよ!」というぐらいの実績を作る。
相手のお父さんだって安心できるような条件がなければ、他人様の家庭の大事なお嬢様の生活を支えいくわけなのですから、そういう覚悟、決意、実績を持つことで万全な体制を作るべきでしょう。
むしろ、結婚とはそれができてからの話ですよね。

あなたの今後のアクション
・期待しない
・父親に高い人間性を要求しない
・早くお父さんを超える実績を作る
・左翼・左派、右翼・右派も同じ人間として愛す
・右にも左にも偏らず右も左もより良い人間性に導く精神を持つ
・お父さんのお考えや性格は昭和、平成の世で培ってこられた現実である以上は、その考えを尊重して、良いところだけはちゃんと採用する。
・将来の家族となる女性であればその人と、家族を養えるだけの経済力をもってお父さんを安心させる
・精神科や整形外科に依存せずに、自分の内面を強く豊かにさせる教えをベースに向上させる。
・どこに言っても大丈夫な精神力を身に着ける
・父親が強く言うのはお父さんなりにそれは精一杯な助言。男同士というのはお互い我の張り合いで上手にキャッチボールができない面があるのだから、あなたが大人になる。
・自分も救う、お父さんも安心させる。彼女も安心させる。誰も傷つけない心の在り方、言葉、行動を心掛ける。

2024年2月5日 21:01
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。厳しくも建設的な助言ですね。
やはり人によって育った環境も違いますから考え方も異なりますね。
私は特定の思想を極端には信じてませんが、父の考え方が特異に映っただけかもしれません。
1つのアドバイスとして参考にします。

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