自己否定をやめたいです
ありのままの自分を認め、受け入れる方法はありますか。
私は20代後半の女性です。
半年前に鬱病と診断され、退職しました。いまは実家で療養中です。
会社は学生時代からの目標の職種で、無給インターンから業界内で2度転職、やっと同年代の平均年収に届いたところでした。
回復した自分が想像ができず、死ぬまでこの状態なのではと怖いです。また、今回の無職期間、複数回の転職が再就職に影響すりかもと不安で涙が出ます。
鬱病になった原因を考えてみると、上司との人間関係、長時間労働など、いくつか思い当たる要因はあります。
でも1番の原因は「自分が自分自身に対して厳しいこと」だと思います。
私は自分の足りない部分が目につき、立派な人間になるために努力しなくてはと思ってしまいます。
様々な資格をとったり、仕事に関連する勉強をしたりしました。
目標に向かって努力する自分は好きです。だからネガティブな理由だけで努力を続けてきたわけではありません。
しかし努力する自分が好きということは、裏を返せば「努力しない自分が嫌い」ということです。
例えば、ゲーム中はこの時間で英単語を覚えられたと反省してしまいます。土日に疲れ切って寝ている自分を、怠惰だと責めます。
「1週間働いて偉かった」「休む時間も大切」と自分を許せたら楽になると思います。
自分自身への労いを声に出してみましたが、心の奥では自分を叱っていました。
また、他人と自分を比較し、自分を責めたりします。
社会的に成功した子、夢を追いかけている子、結婚した子、田舎に移住した子…。周囲を妬み、自分は人生の節目での選択を誤ったと責めます。とても醜いと思います。
最近は暇で、毎日数学を6〜8時間勉強しています。哲学を学んでいるようで楽しいです。達成感も味わえます。また、勉強中は余計なことを考えないので頭も楽です。
しかし「本当は就職先を探すべきなのに逃げている」「数学は直接就職の役にはたたないので、寝ていても一緒だ」と自分が自分を責めます。
私は今のままでは何をしても自分を否定します。
そして自己否定をやめないと、鬱病は根本的には治らないと思います。
精神科では「今は休むように」と言われましたが、どうすれば心が休まるかわかりません。
現状の自分を受け入れ、認め、許すにはどうしたらよいでしょうか。
長文での相談、失礼しました。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ボタンの掛け違い
相談文を読んでいて、根本的なところに勘違いがある気がしてなりません。
私もそうなのですが、普通、人間というものは“怠惰が好き”なのです。
なのにあなたは
『ありのままの自分を受け入れる』
と言いながら、
『「1週間働いて偉かった」「休む時間も大切」と自分を許せたら楽になると思います。』
ともおっしゃいます。
でも、あなたの“偉かった”とか“大切”って、そもそも『勤勉を愛している人の言葉』なんですよ。
『自分を許せばいい』なんて数多のカウンセラーや宗教者が言いますけど、自分を許すときに一番最初にしなければいけないことを言う人はあまりいません。
なぜなら、とてもしんどいからです。
なのに誰もが、何か許そうと思えばすぐに許せるかのように言ってしまう人が多いのではないでしょうか?
その“一番最初にしなければならないこと”とは
『自分の醜い感情を直視する』ことです。
その次にすることは、
『醜い感情を評価しない』ことです。
この二つは観想というメンタル技術ですから、最初からできるわけではありません。
ちゃんと練習してください。
風邪が気合では治らないように、鬱もまた気休めで治るような病気ではないでしょう。
ここからは“仮”の話をします。
もし当てはまってしまったら注意してください。
あなたは『努力する』より『怠惰に過ごす』方が好きなのです。
もっと的確に言えば『したくないこと』より『したいこと』の方が好きなのです。
ここまでは当たり前ですね。
でも『怠惰に過ごす人』より『努力してる人』が好きなので、困っている。
これはよく考えてみれば、自分に限らないはずです。
これは“自分に厳しい”のではなく、“自分には甘いけど、人に厳しい”のです。
この感情を見つけた後は
『自分に甘いのはダメ』とか『厳しくなくてはカッコよくない』とかの“評価”を一切しないで下しさい。
現状の認識がずれていたら、許せるものも許せるはずがありません。
まずは自分自身を見つめること。
その時々でどういう感情の動きをしているのか捉えること。
自分を許すにはそこから始めるのが肝要です。
自分がやっていることを毎回客観視する
人間24時間なにかやってるもんです。きづいていてもいなくとも。
心の中でも何らかのアクションがなされています。
その何らかのアクションがなされている「ときに!」どんなカラーのアクションをしているでしょうか?
そのアクションの内容を知ること。
客観的に見てみましょう。
一時間の中で自分をいじめる否定するDISるボコるようなことをやってしまっているわけなのです。
些細なつぶやきでもそういうDISりワード、ボコりアクションはおこなわれてしまっているのです。
そこに気づいてみましょうよ。
たとえば、鬱にしてもそうです。
・ああ、私は鬱だ⤵
・今日もだめだ。
・鬱が治らない…
・またやってしまった。
・だから私はダメだ…。
これ全部ネガティブなリアクション、ネガティブなアクションですよね。
そういう些細な事、微細なことにも敏感になる。
・鬱だ(事実だけ)
・今日も生きてる
・治らなくても無問題
・今日は今日の景色だ
・前とは違うなぁ
角度を変える。
実は自分を一番苦しめているのって、え?あたしだった?あたしのそういうプチアクションだったのか!と気づければこころはネガティブアクションをしなくなるようになります。まずは踏みとどまること。
人は生まれながらに鬱の人はいません。
いつのころからか心のアクションの習慣が自分を悪く言うようになってしまっただけ。
チョコレートでダースというものがありますよね。
いいこと12個。
そういう感覚でいいのです。
チョコを食べるのに悪いこと12個とかやる必要ありません。
💀虫歯になる、太る、カロリー高い、外国産、農薬心配、肌荒れ、ニキビ、ああ、また食べちゃった、だったら食べないほうがいいくらいでしょう。
同じように、心のアクションをよーく見つめてみると、ああ、この坊さんが言っているように、確かにアタシ、自分で自分に食らい突っ込み入れちょるわ、とわかるようになります。
足を痛めるような悪い道を裸足で歩けば、ケガをしたり、足を痛めます。歩かなくていいのです。そんな悪路、悪所、悪趣。
こころを悪趣に赴かせない事。
それがあなたの今日からの課題、宿題、生活の基本です。
やってみて、一個でも出来たらご返信ください。
やらないうちから
「ああ、どうせだめだろう…」
「できるだろうか」
「どうせ無理」とか…、それがネガティブマインドの癖なのです。それをやめる。
コンパッショネイト•マインド
いとう 様 相談ありがとうございます。
大変でしたね。頑張りましたね。鬱の辛い状況を何とかしたいという気持ちが伝わってきます。大丈夫と思えるようにお手伝いできたらと思います。
もしかしたら、根本にあるのは劣等感でしょうか?
頑張り過ぎたのかもしれませんね。
鬱には、精神科医や心療内科医など心理の専門家のアドバイスや治療は必要です。
それにプラスで、コンパッショネイト・マインドを学び育みませんか?
頑張れない自分を責めてしまうのは、実は自分のせいではない、自分が悪いのではない、自分に責任はないと思えるとしたらどうでしょう。?
そして、ゆったりとゆっくりとした呼吸とともに、今の自分の現状に、評価せず、善悪の判断せずただ気づく。やがて心の平穏を徐々に取り戻し、自分に思いやり・優しさを向けるようになるとしたら、あなたはどう変わるでしょう。
あなたに必要な事じゃないかと私は思います。
一緒に育んでいきませんか?
鬱は、これ以上頑張ったらもっと酷いことになるよ、というサインでもあります。
独りで抗うのではなく、優しく温かい穏やかなことがまずは大切なんじゃないかなと思います。
(コンパッションは仏教では慈悲のことです、私はそれを育むことが大切だと思っております)
参考にしてください。
一礼
質問者からのお礼
みなさまご回答くださり、ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまったこと、大変申し訳ありません。
私は「のんびり過ごすのが好き」で「勤勉な人も好き」という2つの面を持っていることに気づくことができました。
数ある自分の感情や特性に一貫性がなかったとしても、それはそのままでよいと考えられるようになり、楽になりました。
ありがとうございます。
少しずつですが、日々、自分の気持ちが良い方向へ向かっていくのを感じます。
本当にありがとうございました。
また、私はネガティブなことばかり目につく自分の特性を嫌っていました。
しかし、ネガティブなことによく気づくということは、ポジティブなことも同じだけよく気づくことができるのではないかと思えるようになり、大変楽になりました。
少しずつですが、うつ病がなればいいなと思います。