人間て何の目的があって生きるのでしょうか?。
初めてメール書きます。
人間て何の目的があって生きるのでしょうか?。
私は、会社が経営がまずい事を知って、転職したの
ですがそこで、「人間てなんの為に生きてる」とつく
づく感じたのですが一体何の為でしょうね。
後お聞きしたい事が1つあります。今、50歳になり
ますがこの歳でお山に入るのは、遅すぎるでしょうか?。
僧侶が遅すぎるなら他の道はないでしょうか?。お寺に
住み込みで働くとかありませんでしょうか、またできたとして
そこで人の為に働くことは可能でしょうか。
ご教授お願いします。ちなみに私は、独身です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
答えの無い問い
憲一さん
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。
以前、こんなご質問がありました。
「人間は何のために生きるのか」
http://hasunoha.jp/questions/36
私の思うところは変わらず、何のために生きるのかを求めて生きる、そして「まこと」を求めて生きるのだと思っています。
深い悩みをお持ちの時には、人生の意味を問うこともあるかと思います。でも他人から得られる答えではないでしょうし、誰も教えてくれないはずです。そもそも、正しい答えなど無いのかもしれません。
あと「お山に入る」というのを「僧侶になる」と捉えてお答えすると、宗派によって修行の厳しさは違いますが、決して無理ではないと思います。
でも、元の会社の経営がまずくて転職、そこで疑問を抱いて僧侶になるか…ダメならお寺で働けないか…というお気持ちでは、たとえ僧侶や寺院勤務になったとしても、また他が良く見えてしまうのではないでしょうか。
今のお仕事を続けながらでも、仏教書を読んだり法話会に行ったりと、学びの方法はあると思います。現代日本では50歳からの人生もまだまだ長いのですから、じっくりと考えていかれるのが良いのではないでしょうか。
もちろん何かありましたら、hasunohaでご質問下さい。
自分自身に納得がいく自分になって幸せになるため
仕事は僧俗に関わらず、この世の中に存在する仕事のほとんどは人の為になるモノです。
心がけ次第で人の為でも、自分の為にもなりましょう。
それよりも自分自身に本当に納得がいかないと、人間心底自信が持てないものです。
仏教は私にそれを与えてくれました。
私が学んだ禅は、自分自身の真相を明らかにするというものでした。
私が修行した道場にはそれはありませんでした。
やはり場所は場所。建物は建物。大切なのはそこに居る指導者、人間です。メッカに行けば良い教えにであるのかと言えばそういうものでもないのです。
禅の世界では、正しい教え、心底救われる教えを説く禅の師を❝正師❞と崇めます。
思いや考え、主義思想ではなく、そもそも、それらの考えそれ自体を起こす以前の自分に立ち返って、実物ホンモノの一点の思いの曇らせ無しの自分自身を徹見することで人は宗派主義思想にかかわらず誰もが思いから救われ、晴れやかな気持ちになります。だから禅宗では坐禅を重宝し、悩み苦しみの本体である思いそのものから離れた視点に立ちます。
生きるのがツマランとか、何か他の良いことはないか、と他を求めるということは、自分に納得がいっていないということ、思いの中でアレコレ自分をツマラナイものにしてしまっていることと言えるのではないでしょうか。
仏教や僧堂生活を求めるにしても、あらかじめ自分の想像、理想を立てているとずれていくと思います。私は、仏教を求めるという事は、道場などの場所や空間、本の中の知識や仏教教理哲学の中でもなく、この自分自身の中に仏教とかいう理論理屈の前の「真実」を見出すこと、自ら覚者になる事が仏陀への道、仏教の原点であると考えています。
この自己の心身以外の❝外❞に、外の事として仏教らしい仏教を教えてくれる学者・論師では心底迷いを救う力にはなりません。それでは仏教らしいことの勉強でしかなく、この自分自身を心底を救う力にはならないのです。
もし本当に仏教を学ばれるのであれば、あなた自身が救われる生きた仏教を伝える僧侶を探し求めることです。
これは人によって、要求のレベルが異なると思いますので、今後道を求められる中で、それでも納得がいく教えに出会えなかった時は再質問いただければと思います。
善き目的・意味・価値・結果へと向けて
憲一様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
ご出家の志をお持ちであられますこと、誠に尊く、有り難いことでございます。
僧侶になるためには、宗派によって色々と手続き・要件・資格過程が必要になるかと存じますので、興味のある宗派・宗旨の各本山・各宗務庁・各宗務所にお問い合わせなさられて、分からないことを個別にお聞きになられることが、まず大切になるかと存じております。
また、これまでにおける下記各問いの皆様のご回答も色々と参考になるのではないかと存じております。
http://hasunoha.jp/questions?tag=お坊さんになるには
もちろん、僧侶になる機縁にどうしても恵まれなくて、在家のままであろうが、仏道を歩めないことは全くございませんので、「これしかない」とあまり思われなくても良いのではないかと存じます。
「人間て何の目的があって生きるのでしょうか?」・・
生きる目的や意味、価値につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html
最近、共通して述べさせて頂いているのは、善き目的・意味・価値・結果も、善き縁次第として、しっかりと善き因・縁(原因や条件)を調えていくことに精進努力していくことが必要であるというものとなります。
私たちは目的・意味・価値・結果というものが、何かこれから先にて実体としてあるものとして囚われてしまいがちですが、それらは因・縁に依って成り立つものであって、因・縁無くしてはあり得ないものでございます。とにかく、日々の善き因・縁を集めることへの努力次第となります。
何のためにかと言いましたら、もちろん、善き目的・意味・価値・結果へ向かうためとはなりますが、仏教的には、悟り・涅槃へと向かうためということになります。
憲一様が「人の為に働きたい」とおっしゃっていることは、他の役に立ちたいという慈悲・利他の実践のことでもあり、悟りへと向かう仏道を歩む中においても進める大切な福徳の実践となります。
是非、共に頑張って仏道を歩んで行く中で、智慧の修習と共に取り組んで参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
残暑見舞い申し上げます。
先生、回答にメール有難う御座いました。
私が「人て何で生きるんだろう」と考えてのは
私は、今から10数年前にマンションを買った
のですが、会社が倒産しそうになったり、詐欺に
あったりと結局、自己破産してしまいました。そ
の時を境に「人て何で生きるんだろう」考えてしま
い、一時は生きることが面倒になりました。自殺も
考えましてが、両親や親戚の事を考えるとそうもい
かづ思いとどまりました。今でも、心は右に左にウ
ロウロしています。あの時も今も1人で考えました。
こんな理由があるのです。
この考えの中から考えた結果なのです。お山に入り、
僧侶・寺男どちらかになり、勉強をしてそちらを極めた
いと思いこのメールを書いた次第です。できれば、良い
師匠に出合い 先生の言われた「まこと」を探し続けたい
と思っています。そしてその助言も聞ければ幸いです。
それに、このような境遇に合われた方(詐欺)、惨めな境
遇の何かお手伝いする仕事をと思いました。
決して、会社の経営がまずいくて転職なんてことは
ありません。
その為にも、50歳の今からでないと間に合わないと
思っております。
どうでしょうか。私の考えはおかしいでしょうか。
施設管理をやっていた私です、ボイラー、危険物、
第一種電気工事士とか役に立つ資格だとは思いません。
お寺では特に役立つ資格は持っていません。どこか、
あったら教えて下さい。
今回は、有難うございました。また、アドバイスお願い
します。