自分の役割が終わった
長年、躁鬱を患いながら、息子を育て去年独立しました。
寝込んだり入院したり、死にたい気持ちと戦いながら、息子を育ててきました。
息子が独立して1年、気力が段々落ちてきて、仕事も気合いが入らず、なんの為に生きているかわかりません。
「母さんが死んでも生きてもどうでもいい」といわれ、正月も帰って来ず、1人寂しく過ごしました。
好きな温泉巡りをしたり、近場で1泊旅行に行っても、その時は楽しいですが、虚しい気持ちになります。
いつ死んでも構わないと思っています。
癌などになっても治療せず、緩和ケアだけお願いして最期を迎えたいと思っています。
やりたい事はあと2つあります。
それだけ済ましたら、自ら命を絶つ選択もアリかなと思っています。
決して今が物凄く辛いという訳でもなくて、ただ、病を抱えながら子供を育て上げ、ゴールを切った感じで、もう、この世からお暇しようかなという感じです。
大勢の僧侶の皆様には大変お世話になりました。
ありがとうございます。大変な時も乗り越えられました。
感謝しかありません。
お世話になりました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死ぬタイミングは自分で決めるものではないと思いますよ。全うすれば、
自然と訪れるのですから。
幸せとは自分の心を満たすことではなく、初めから満たされている事実に生きること。自分という自我を中心とした生き方から、もっと大きな命として生きることです。
思い通りにしようとするのではなく、思いを離れ安らかに仏法に生きることです。
自我に任せて幸せはない。欲望を満たすだけの話。いのちの働きは何不足ないのですから、そこに目を向けられる仏道修行に生きたらよいのではないでしょうか。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
でも、気持ちは変わりません。友人の僧侶からも、得度を勧められていますが、きちんと、お話しようと思います。
本当にありがとうございました。