お金を稼ぐ必要はあるのですか?
誰かのために体を使い働くのはいいことですが、働いた分のお金は当然だとうけとりますが、これは我欲であり執着なのではないですか?
働くのはボランティアでもいいはず、生活費のために身を粉にして働く必要があるのですか?
生活費がゼロでも生きていく方法はないのですか?
食って行けなきゃしょうがないともいいますが、食欲も欲のひとつですよね。
僕は今、1日一食くらいにとどめています。食べない日があってもいいと思ってます。
貯金をしないと老後も大変になるといいますが、老後のことを考えるのは、今を生きてないですよね。
お釈迦様は今を生きよと言っておられる。今お金が必要でなければ、未来永劫お金は必要ではないのでしょうか?
有名になりたい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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40にして惑わずといいますが、、、
ぺこさんがいつからそう思うようになられたのかわかりませんが、あなたはいま自分が稼いだ金で生活していられるのでしょうか?四十にして惑わず、といいますから惑わない心境になられた結論なんでしょうか。どうぞあなたの理屈にしたがって、生き抜いて見せてほしいものです。
自給自足ができない限り、あなたの毎食の食べ物は、ボランティアでいただけるものではなく、だれかが生産したものを代価を払って買わねばなりません。
働くのはボランティアでもいいではないか、といわれますが、だれの為になにをすることを働くとおっしゃってるのでしょうか。
生活が保障されることなしには、ひとは人間らしい暮らしは出来ません。
生まれ落ちた瞬間からお金なしで生きられないのが人間というもので、ジャングルや平原で生まれた野生動物のようには生きられないのが人間というものです。経済活動をすることで発展してきたのが人間の社会です。
農本主義という考え方があって、全てのひとが農民になっても皆が生きられるが、全ての人が大工さんなどになってしまえば、みんなが生きられませんね。食べ物を作る人が、もっとも大事だという考え方です。働かないで他人に依存して生きる僧侶などを猛烈に誹謗した安藤昌益などはそういう考え方ですね。直耕と言う考えかたです。耕すべからざる者食うべからず。働かざる者食うべからず、などと昔はよく言ったものです。お釈迦さまは出家を勧められましたが、みんなが出家すればみんなが生きられないのは自明です。いろんな人々が多様な職業について、各自の必要を満たし助け合って生きてるのが人間の社会です。そうして均衡が保たれて生かされてるのではないでしょうか。
物事の根源のあり方を考えてみるのは大事なことで、考えないまま生きてることに比べてご立派ですが、思うようにはなかなか生きられない現実に直面するのが人生というものではないでしょうか。
逆らって生きられるのか流されてのたうちまわる私のいのち
喜捨のみで生きていけるなら。
質問者様が托鉢や喜捨のみで生きていけるなら、そうなされませ。
現代日本は経済社会でありますので難しいとは思いますが、不可能ではありません。
自分の身は自分で支えなければなりません。
足元だけを見て生きるのではなく、いずれ来たる老・病・死を見据えて備え生きることも行ではないでしょうか。
質問者からのお礼
ありがとうございます。働くことへの意味、お金の意義がわかりました。