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過去の過ちと罪悪感について

回答数回答 1
有り難し有り難し 12

私は子供の頃から二十代前半まで、人に対してかなり不誠実な対応をしてきました。
(詳細は伏せますが人には言えないような悪い事もしてしまいました)

十何年か経過して、結婚をして家庭を持った今、過去を思い出し自己嫌悪と罪悪感で頭がいっぱいになり、ついには「いつか過去に復讐される」「お前は幸せになってはいけない」という強迫観念のようなものに捉われるようになりました。

今はできる限り他人に誠実に対応すればするほど「これで許されると思うなよ」と考えてしまいます。(実際そうだとも思います)。

皆、私みたいに矮小で卑怯な人間ではなく、今までの人生を誠実で真面目に生きてきたのだろうな…と友人や同僚と話す度感じますし、実際そうなのだと思います。

ただ、これから先もずっといつか来る(もしかしたらもう来ている)罪悪感や「過去からの復讐」に怯えて生きていくのは苦しいです。
過去の言動や行動は今更取り消せないことは十分承知しております。居直ることだってできますが、それでは行けないような気もするのです。

今後、そう言った感情や出来事と向き合っていく勇気が欲しいです。

支離滅裂で読みにくい文になり申し訳ございません。
ご助言頂けますと幸いです。

2024年3月18日 19:19

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

業の観点から見れば

善業も悪業も、少なくとも大きなものは何か結果を出さずにいません。いつ結果を出すかというタイミングは、分かりません。
 そこで仏教では、悪業の結果が出ないように頑張ります。何か悪いことをしたら懺悔してもうしない、これから頑張る、と誓いを立て(自分の心の中だけでもいいです)、善の心だけで生きるのです。
 楽しそうな雰囲気のところに悪い知らせを持っていくのがはばかられるように、心が善でいるときには過去の悪業も結果を出しにくいと考えます。
 そのまま一生を終えたらこの生涯は逃げ切った、とも言えます。しかし次の生涯で悪業の結果が出るかもしれませんので、それで悪い境涯に生まれるのも困るので、なるべく今世のうちに悟りの段階にまで入れるように、と、頑張ります。
 初期仏教では悟りを四段階と見て、最初の預流果は無常、苦、無我を納得するだけでOKで、預流果に悟れば悪い境涯には二度と生まれ変わらないので安全といえます。悟りと出家は関係ないので、在家生活の中で学べば十分です。
 無常、苦、無我、業の法則などに興味が出たら、スマナサーラ長老の本やyou tube配信で仏法に触れてみてください。
 新たな悪業は決して犯さないぞと頑張るのは無論のことです。暗い心も悪業になるので、いつも善の心でいることが大切です。善の心とは、慈悲喜捨の心です。これはあちこちで解説があると思います。
 また、何か悪いことが起きたら、直接自分の行為のせいでなくても、過去の悪業のせいでしょうね、と心を切り替えて、暗くならずになるべく的確に問題に対処するようにしましょう。
 

2024年3月19日 8:17
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

お返事が遅くなり大変申し訳ございません。

過去の行い(悪業)はもうどうやっても変えられません。もう二度と過ちを繰り返さず、善の心を胸に今を生きていこうと思います。
また、これを機にご紹介頂いたスマナサーラ長老の著書や仏教について触れてみます。時間がかかるかもしれませんが、少しずつ学んで理解できるよう励みます。

ご助言、ありがとうございました。

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