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息子が鬱ぎみです

回答数回答 3
有り難し有り難し 14

33歳の息子と2人で暮らしています。
2年前ぐらいに不安症になり、1年ぐらい病院に通っていましたが、よくなっていました。
最近は、人が変わったように喋らなくなり、こっちも暗くなってしまいます。
人生を諦めてしまった様に感じます。
私も今の状態が続くなら死んでしまった方が楽だと思えてしまいます。
どう接していけばいいのかわかりません。

2024年3月26日 0:56

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

前回の質問にも目を通しました。あなたはこれまでとても頑張ってこられたと思います。息子さんの件でお辛い気持ちをお察しいたします。人生には時に暗いときが訪れますが、その暗闇の中にひとりで立ち向かう必要はありません。どうか心を開いてください。息子さんにも、あなたの心の内を素直に伝えることで、少しでも軽くなることがあるかもしれません。一緒に悩みや苦しみを共有し、支え合うことが大切です。
人生を諦めてしまったような気持ちになることもあるでしょう。しかし、今の状況が永遠に続くわけではありません。希望や光を見つけることができる場所や方法がきっと存在します。自分自身への優しさや労いも大切です。ご自分を大切にし、少しずつ前に進むことが、癒しや希望を見つける一歩となるでしょう。
どうか、あなたの心の内を包み込むような優しさや温かさを感じながら、少しずつ前に進んでいってください。人生は時に厳しい試練を課すこともありますが、その中にも必ず意味や光があります。前を向き、希望を持ちながら、ゆっくりと歩を進めていってください。あなたは一人ではなく、この苦しみも乗り越える力を持っています。
最後にもしもあなたからご覧になって息子さんが危険だとお感じになるならばなんとかきちんと向き合って対話してください。そして、息子さんにカウンセリングや心療内科などを受診してもらってください。あなたを応援します。合掌

2024年3月26日 7:23
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有り難し
おきもち

個別相談可能
仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せるのかを常に考えます。 資格:日本メンタル協会認定メンタルスペシャリスト。JADP認定心理カウンセラー
平日19:00から21:00に受付ます。

いつでもお待ちしております。

拝読させて頂きました。
息子さんがうつ気味で人生を諦めてしまっている様に感じてあなたはとてもご心配なさっているのですね。そんな中で暮らしていてとても暗くなってしまって死んでしまった方が楽なのではないかと思ってしまうのですね。詳細なあなたや息子さんのことはわからないですが、あなたのその辛いお気持ち心よりお察しします。
宜しければあなたのその思いをここでもおっしゃって下さいね。あなたの心の中にあふれてくるお気持ちをここでもお話下さい。或いは仏様や神様やあなたのご先祖様にもあなたの思いをありのままお伝えなさって下さい。仏様や神様やご先祖様あなたのあなたのその思い全てを優しく受けとめて下さいます。あなたの辛い思いに寄り添って下さいます。そしてあなたをお救いなさって下さいます。
また宜しければ息子さんにもここをお伝えなさって頂いて息子さんのお気持ちをお話なさってもらってはいかがでしょうか?
息子さんの心の中だけでとどめておくのではなくてここや様々な方々に思いをお話なさってみて心の中から出していくことが望ましいのではないかと思います。息子んさんの心の中も沢山の思いや悩みや苦しみがあるのではないかと思います。
お話お聞かせ頂いて今すぐに何もかもが変わっていくことはないかもしれませんが、少しでもお気持ちを話していく中で気分も変わっていくと思います。そして少しずつ心が軽くなっていったり明るさが取り戻されることもあるかと思います。
あなたにも息子さんにも春に日差しが温かく照らしていくことでしょう、様々な花々があなたにも息子さんにも優しく微笑みかけて下さるでしょう。様々なものごとがあなたにも息子さんにも恵まれていることでしょう。
あなたにも息子さんがこれからも沢山のものごとに恵まれながら多くの方々とご縁に恵まれて健やかに毎日を生き抜いていかれます様に切に、心から豊かに皆さんと一緒に幸せに生き抜いていかれます様に切に仏様や神様やあなたのご先祖様に祈っております。そしてあなたや息子さんを心より応援させて頂きます。
そしてあなたや息子さんをいつもお待ちしております。至心合掌

2024年3月26日 9:10
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

(*'▽')鬱を治そうとするというよりも、まずご自身のなかに
こうありたい、
こうあってほしい、
こうあるべきだという
自分のルール、
自分の世界越しのもののみかた、
わたくし的な強い価値観、
自分自分したつよい決まりごと
…があると、それが原因となって現実の世界で思い通りにならなくて苦しくなるということがあります。心の前フリと覚えましょう。
それを本人が治そう、なくそうとすることが良いと思います。

以下はうつ病の一般的な原因ですが、あてはまる原因を少しずつなくす、へらしていくことで心の安全な健全な運行がなされることで、結果的に鬱状態を改善することもできるでしょう。

生物学的要因
脳の物質のバランスの変化が関与する可能性がある。神経伝達物質の異常が、うつ病の発症リスクを増加させてしまっている。
👉脳が元気になるサプリ、山菜などの摂取もよいでしょう。

心理・社会的要因
ストレス、トラウマ、人間関係の問題、仕事や学業上の圧力、孤独感などの心理的な要因。個人の性格やストレスへの対処のありかた、反応の仕方も影響を与えます。
👉負の反応をなくすトレーニングや坐禅を通して、事実に対して思考的色付けを無くす癖をつける。

生活環境の要因
貧困、身体的疾患、生活の変化(転居、離婚、職場の変更など)、社会的孤立など。
👉変えられることは変えていく。家の中の配置が変わるだけでも気分も変わるものです。過去の失敗は悪く評価せず学びとして前に進んでいく。

身体的な健康状態
慢性疾患、特に慢性疼痛や重度の疾患がうつ病の発症リスクを増加させることがあります。また、睡眠障害や栄養不良もうつ病と関連しています。
👉食生活を改善。無農薬の米、味噌、ちゃんと発酵した漬物、天然のさしすせそ(砂糖・塩・酢…)、天然の酒・みりんなどを用いる。遺伝子組み換え食品やそれらの飼料を用いた食肉等を避ける。

薬物やアルコールの使用
薬物乱用やアルコールの摂取がうつ病を引き起こす可能性があります。治療中に薬物やアルコールを誤用することで症状が悪化することもあります。
👉薬やアルコールに依存するのは本人の心が刺激を求めている、代償行為を求めている、水分が不足している、言いたいことが言えていない、不満などがあります。
同じ家族としてぶっちゃけた会話・コミュニケーションを心掛ける。親子で坊さんに相談電話。

2024年3月27日 8:05
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございました。

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