「若いから先がある」に違和感があります。
「君は若いんだから、まだ先があるでしょ?」そう言って回り道をさせようとする人がいます。
当然そうした方が順当に物事は運ぶかと思います。
ただ、私はこの言葉を言われることに違和感を感じるのです。
もしかしたら私は明日にはいないかもしれないでしょう。したかった事を何も出来ないまま時間が過ぎて行く、後悔はしたくありません。だからあまり回り道はしたくないのです。
結局は私が決める事ですが、先人の言う事は聞いておいた方が良く、そうしないと失敗して苦労するかもしれない。そんな心配事が頭をよぎってどうすれば良いのかが分からず、動き出すのを躊躇ってしまうのです。
こういう時、どういった判断をすれば良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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やれることをやるのみかと
ご質問拝見させて頂きました。
親鸞聖人の句に「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」があります。明日も桜が咲いてという心が仇になる可能性がある。夜中のうちに嵐が吹いて、桜を見ることができないかもしれない。という意味です。これは世のはかなさをうたった句になります。ですから、たなごころさんがおっしゃられますように、若いから~という言葉は何のあてにもならない言葉だと私も同意します。仕事に限らず人生は誰にでも平等に時間が過ぎていきます。どのような事も遠回りと思うこともあるかもしれませんが、今やれることをやってみる、この気持ちがまず何より大切だと上記の句からも気づかされます。決めるのはもちろんたなごころさんですが、やらないで後悔するならやってみる、やってみてやっぱり無駄だと思ったとしてもそれも新しい教訓になるわけですから、若いから~というのは置いておいて挑戦することも大切かもしれませんね。 合掌
ご質問ありがとうございます。
あなた自身が成長できそうな道を選択して進むのがいいと思います。
近道でも回り道でも成長しなければ目的地には辿り着けませんからね。