寺嫁が離婚を迫られました
住職である夫から離婚を迫られました。
理由は兼業僧侶の夫に家事育児を私が強要した結果、病弱な主人が心身ともに限界に達し、娘を捨ててでも奴隷のような生活から解放されたいというのが、一番の理由です。
今年の2月に別居し、2ヶ月後に初めて離婚を切り出されましたが、それまでの間主人からは1度も連絡なく、現在まで娘にも会いに来ませんでした。
寺嫁としての心得が不足していて、寺の運営に口出ししたことは平に謝りました。
しかし、私も41歳で病弱ながら出産し、産後うつの状態にあり(今振り返ると、ですが)
とてつもなくイライラしながら、できる限りの家事育児はこなしてきました。主人が帰宅する頃には疲労困ぱいで、先に寝てしまうことも多かったので、主人に家事をお願いする場面も多かったですが、主人が病弱なことも理解していますから、できる範囲で構わないとお願いしてきました。
しかし主人は日ごろから、感情の起伏が激しい私を怖がり話し合いで結婚生活を進める習慣はなく、私の愚痴を適宜義父母に話し、結果三人が怒り頂点に達し、追い出されるように実家に帰されました。
しかも、離婚の話し合いに入る前に、私を実家に返したことを理由も含め伝え、私が寺に戻れない状態を作ってしまいました。
また、話し合いがこれまでに一度ありましたが、義父母がほとんど話し、主人は2人だけの話し合いに、全く応じてくれません。
慰謝料も、要求したいくらいだと迫られ、寺というところは、ここまで一方的なのかと戸惑っています。
このまま、主人家族の要求をのむしかないのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お粗末
それを乗り越えるところに説得力が生まれる。嫌だから離婚。お坊さんじゃなくてもできる。ああさすがお坊さん、離婚の危機をこんな風に乗り越えたのか。そうならないといけない。
世の中の苦しみから逃れ楽になれば幸せだという間違った仏教を僧侶から一般人までが信じている。その考えの方が都合がいいからだ。
しかし、本当の仏の教えは、苦しみを乗り越えよという教えだ。乗り越えるには時間も労力もかかる。そこに人間の成長があるのであり、苦しみから開放され楽になって、何の成長がありますか。
話し合いができなくてもあなたの心の中で仏教とは何かをよく学ぶことです。
今は娘のためにどう生きるかを選択してください。
akariさん、こんにちは。
離婚問題で悩んでいるのですね。
同じ寺関係としてわかりますが、知らない世界の中で、あなたなりに大変な思いで寺庭のお役をされたのでしょう。寺の継承の問題が絡んでややこしくなっているのでしょうが、根本は夫の問題です。たとえあなたに原因があったとしても、夫婦のけじめとして話し合いに応じないのは、夫の未熟さの問題です。義父母に甘やかされて育ったのではないかと思います。
さてまずは大切な娘さんを育てなければなりません。夫が対応せず義父母しか全面に出ないのであれば仕方がありません。どのようなご縁で結婚されたのかわかりませんが、弁護士にお願いして離婚調停をしてください。あなたと夫の関係は完璧に離れると思いますが、娘さんは夫の子どもですから離れることはできません。責任があります。きちんと慰謝料を請求して、娘を育てる覚悟をしてください。
akariさんも幸せな第二の人生を歩まなければなりません。夫だけが悪いだけで済ませるのではなく、人としてどう触れ合うことが大切かを反省する体験にしてください。夫婦も含め人間関係は相手を思いやる言葉が大切です。正論だけでは人は動きません。相手にあなたと触れ合うと心がホッとするという存在にならなければいけません。
あなたの人生を幸せに生きるため、何度も何度も心を見つめなおし、娘のためにあなたの幸せのために、無理せずにがんばってください。応援しています。合掌
質問者からのお礼
常在様
早々のご返答ありがとうございます。私も仏弟子の端くれでありながら、仏教の本質を考えることなく目の前の問題に悩んでおりました。自分自身の生きる姿勢を反省しなくてはならないと痛感しました。結論を急がず娘の幸せのため、この問題に真正面から取り組んで参ります。
染川様
早々のご返答ありがとうございます。
結婚生活を振り返り、主人に私といてホッとして貰えなかった原因は、私が単に産後の独特の状態であっただけでなく、私自身の人間性に問題があったと反省しております。
娘とのこれからの人生、生まれ変わった私の背中を娘が見て、この親の子で良かったと思ってもらえるような、柔らかく、しなやかに生きて参りたいと思います。