お寺の娘として生まれた意味。
こんにちは。
最近は、春の陽気が気持ちいいですね。
プロフィールに書いてある通り、私はお寺の長女です。
父親がつるっぱげであることを父親参観日にからかわれた幼稚園時代を始め、実家が寺であることをコンプレックスだと感じる経験のほうが圧倒的に多かったです。母親には、「○○寺の看板を背負ってるんだからね」と言い聞かされて、それがまた鬱陶しくて仕方が無く、反抗期からはお寺のイベントは一切手伝わない子でした。田舎だからか、成人した今でも職場で実家がお寺であることを度々話題にあげられ、「そんなに珍しいのか?」と、もはや不思議で仕方ないです。普通の勤め人の家に生まれたかったです。
私の弟なんてもっと可哀想で、跡取りだから好きな道も選べず、小さな頃から不公平なくらい厳しく育てられていました。
お寺の娘にふさわしくないほど、煩悩に満ち溢れているし、優しくもないし、たくさんの人を傷つけてきました。真っ当な人生とは少し違うかもしれない、、。
しかし、成人した今、たまに思うのです。
「私がお寺の娘として産まれた意味はあるのか」と。
もし意味があるのなら、少しはコンプレックスや鬱陶しさは軽減されるかもしれません。
皆様はどう思われますでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
恩を返すことに気付くこと
お寺という特殊な環境ですから、
小さい頃は、普通と違うことに戸惑いを感じることありますね。
私もおなじでした。
でも成人して気付かなければならないのは、
自分自身をここまで大きくしてくれたのも、
お寺という環境があったと言うこと。
もっと分かりやすく言えば、
毎日、仏飯をいただいて成長できたということです。
多くの檀信徒が、汗水かいて働いて稼いだお金をいただいた浄財である布施のお陰で、学校にも行け、ご飯も食べれて、勉強もできたということです。
意味を教えて頂くより、
自分が何を返していくのか?
そこが重要だと思います。
それに気付いた時、自分の人生の扉が開かれますよ(。-人-。)
仏教との巡り会い
私はあまりお寺に生まれた意味を考えたことはありませんね。
お寺の子供だからという目で周りも見なかったですし、私もお寺の子供だからと思うこともありませんでした。
お寺は世襲ではないと思っていましたし、大学卒業後は一般の会社に就職しました。
その後、家族にも色々あり、私も仏教を学ぶうちにその価値を知り、跡を継ぐことを決意しました。
結果的にはお寺に生まれたおかげで、仏教を知ることができた、ということが言えると思います。
あなたも仏教を知ることから始めてみませんか。
案外お寺の子供は仏教について知らないものです。
灯台下暗し、ともいいますね。
仏教とは大雑把に言えば、自分の心をちゃんとコントロールして、お釈迦様の説いたこの世の理を理解して、自分がどのような状況に置かれても、楽しく生きていく、という教えです。
たくさんの宗派、大乗、上座部、いろいろありますが、目的は同じです。
先ずはあなたのお寺の宗派の教義を知りましょう。
合掌
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
ありがとうございました。