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僕の仏道を見つけたかもしれない

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有り難し有り難し 9

家の宗派に捉われず、自分個人の考えに合う仏教宗派を求めてグルグルと何周も思考の旅だったり実際にあちこちに足を運ぶ物理的な旅だったりを繰り返してきました。
基本的には僕は称名念仏の徒ですが、それだけで本当にいいのだろうかという疑いのような気持ちがあって、でも禅や密教などできる気もしなくて、それらのスピリットを念仏の中に包含した総合仏教みたいなオールインワン念仏を説く宗派はないかなと思っていました。その候補として浄土宗西山派、時宗、天台真盛宗など考えました。

ただ、ふと思ったのです。仏教宗派はよく登山道に例えられますが、それを一人で網羅する必要はないんじゃないか。オールインワン念仏でなくても、自分の道が称名念仏であるなら他の道を通る時の景色は絶対に見なきゃいけないということはないんじゃないか。
伝教大師が好きなのですが、例え天台宗に入っても法華や禅や密教を自分でやるとは思えず、やっぱり天台宗内の念仏行者にしかならないと思います。じゃあ浄土宗(鎮西義・知恩院)でいいんじゃないのか。

ただ、浄土宗は生きている間の生き方への教えが弱いかなと思うのです。
「現世を過ぐべきようは、念仏の申されん方によりて過ぐべし」ぐらいしか無いように思いますが、平安鎌倉の時代は良くても現代人にはこれだけでは生き方指南としては弱過ぎはしないか。
この点が浄土宗の弱点だとずっと思っていましたが、そこで好意を持っている伝教大師の教えを援用するということを思い付きました。そう、あの有名な「一隅を照らす」。
仏道修行としては浄土宗の念仏しかしませんが、人間としての生き方としては「一隅を照らす」を座右の銘とする。浄土・天台の併修と言えるほど本格的なものではありませんが、この両宗派を菩提宗とした僕の尊敬する徳川家康公のお心にも叶うかと思うのです。

僕が見つけたこの仏道、お坊様方から見てどうでしょうか? なにぶん素人の横好きからの考えですので、未徹在な点があればご指摘ください。

2024年8月17日 21:14

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの信仰の道を歩んで下さい

拝読させて頂きました。
信仰のあり様は人それぞれですからあなたがその様に思われるのであるならばその様な信仰を持たれてその様な心持ちで生きられても宜しいかと思いますよ。
信仰を生きる糧とするならば生きる中で役立てていきたいと思われて、どう実践なさっていかれるかはそれぞれの個人の判断ですからね。
また年齢を重ねていくに従い考え方も信仰のあり方も変わっていく場合もあります。これからあなたが様々なことを経験なさっていかれるうちに自らのことを見つめ直していくことも充分に考えられます。
ですから信仰も柔軟に受け止めいけてもいいのではないかと思います。
いつでもどこでもどんな状況の中にあったとしても神仏やご先祖様はあなたのことを優しくお見守りなさっていて下さいます。
あなたがこれからの未来にあなた自身しっかりと信仰を持たれて心から健やかに充実した人生を歩んでいかれます様に、信じる道を豊かに幸せに満たされて生きることできます様に切にお祈りさせて頂きます。至心合掌

2024年8月18日 13:39
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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進めてご覧になるといい。

 こんにちは。この問答、何よりタイトルが良いですね。「見つけたかも知れない」。これは多分、他人にとやかく言われずとも「小さな悟り」なのかも、と感じます。私自身やっぱり「あ!この部分をこう考えると良いみたい!」というのが何回かあり、(しかし忘れっぽいので)メモしておいて、生活のいろんな場面で当てはめてみたりしています。
 なので、実践されるといいと思います。「浄土宗の考え方を知った上でお念仏となえ、行動のポリシーとしては一隅を照らす」。結局誰しもが別々の人間なので、その生きる支えというのも、オーダーメイド(というか自分なりの発見)で良いのだろうと思うわけです。
 ゴチャゴチャは言う事できますよ。「浄土宗は他力の教え。一隅を照らすというのが奢りになってはいかんでしょ」とかね。
 だからその時、「一隅を照らすとは?」を改めて考える訳です。「全てを照らすことはできないけれど、せめて世の中の一隅を照らそうとしている自分でありたい」であれば他力とか凡夫(浄土宗的)に近いと思いますけれど、(極端に行くと)「この一隅は俺だけのオリジナル。俺が先駆者で、他の奴にはやらんぞ」だったら(聖道門的)執着になるでしょう。
 僕は浄土宗の考えが染みついちゃっているので、「生きている間の生き方の教え」は「念佛の申されん方」ですが、そこ深掘りすると「念佛できる自分、とは何か?」仏さまの前に出られる自分、そこで念仏できる自分とは?が自律を促している…のだろうと思っています。
 多分、法然さんの教えの画期的なのは「凡夫」というところで、結構鎌倉仏教以降は援用していることが多いですよね…「それでも生きていかざるを得ない」というやつです。恐らくそれが言葉のワクチン的になって、生きる支え(危機を乗り越える策)にもなっているのかと。
 …だいぶ脱線してしまいました。私からは「その方針で、日常を過ごしてみるとよい」ということです。自らが危うい時に、その考えが自分を支えてくれるか。日々実証実験です。あなたご自身の生活の中で、ポリシーというのも鍛えられていく(深化していく)のだと思いますよ。
 ともあれ、ご自身がそれを見つけ出されたことに、まずは快哉。

2024年8月24日 0:06
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

> Kousyo Kuuyo Azuma上人

いつもありがとうございます。
柔軟にというか、僕は柔軟過ぎるぐらいで、あの宗の教えを聞けばあっちもいいなあ…とふらふら揺らいでしまうような、そんな浮気性の信心の持ち主です。
まさにおっしゃるように、様々なことを経験したために始まった宗派探しの旅でした。

>佐藤良文上人

お忙しい中と聞きましたが力のこもった文章をありがとうございます。
そう、オーダーメイドなんですよね。既成の宗派で僕が望む条件を全部満たすものはありませんでしたが、双修という手に踏み切ればこれが見つかりました。法然上人の時代には真言宗や天台宗に所属しながら法然上人の弟子という人も多くいたようですしね。俊乗房重源上人など大好きです。

おっしゃるように、他力的一隅を照らすを心掛けていきます。
先日、ゴミ箱から溢れている紙屑を目にしました。自分がやったわけではないのでいつもならスルーしますが、「ああ、ここが一隅を照らすチャンスか」と思うと、紙屑を拾ってゴミ箱に入れるということができました。こんな些細なことが意外と仏道ではないかなと思うのです。

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