自分に自信を持てない
いつもお世話になっており
ます。自分に自信が持てません。
「天上天下唯我独尊」といえど、
「私は私である」と思えなく、
困っています。
なので、24時間テレビの
放送期間や障害者週間になる
と、外に出ると必ず、健常者の
方々にわかるように、他の
障害者の人を大声で罵ったり、
お店に入れば店員さんに、
「あの障害者、なんかあったら
店から叩き出していいよ」
などと言ってしまいます。
24時間テレビの放送期間中
や障害者週間は、本当に苦痛
です。私は、普通の人より
疲れやすいため、倒れてご迷惑
を掛けぬようご援助が必要で、
ヘルプマークを付けています。
今は昔に比べれば、障害者に
対する理解はかなり進みました。
昔と違い、車椅子や片手片足の
ない人が通っても、罵られたり
する事などまずありません。
「悪口や意地悪をする人は
自分を見失っているからだ」
とある先生は言います。
「自分が言われたら傷つく事
を、他の人に言いたくなる」
と続けます。
まさに、私です。心乱れて
いるときは、他の障害者の人
を見つけると、わざわざ
近づいて行って大声で罵り
ます。みなさん驚いて私を
見ます。
ターゲットを探すために
立ちんぼをしたこともあります。
なぜ、こうなってしまったか。
怖い・横暴な障害者をたくさん
見たからです。
「私もこの人たちと同じと
思われてしまうのか」
という不安が強いのです。
「障害者への理解が足りない」
という論ではありません。今は
昔と違います。合理的配慮も、
法的に義務化されました。
私自身が、不安なのです。
私が最近いただいた戒名は、
「徳を積む行動に勤しんだ結果、
積まれた得で私自身が輝きを
放っている」
という意味です。
これでは、同じ輝きでも、
チェレンコフ光です。みんな、
毒されていく。そして私も。
私は、いるだけで他の人に
不快感を与えているのだろうか?
と心配でならない。
先ほど述べた「先生」は、
「清潔にし、自分は自分だと
いう自信を持て」
と言います。
私の場合、本当にそれで
いいのでしょうか?
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
静かに咲く花になる
静かに咲く花は他人から嫌われません。
清潔にしていて、他人とトラブルを起こさないように静かにニコニコ暮らしていれば、他人に迷惑をかけず、基本的人権も尊重されます。
他人とトラブルを起こせば、トラブルの相手だけでなく、周囲の人からも嫌われるリスクはあります。
静かに咲く花のように生きて、たとえ誰からもほめられたりしなくても、道端でひっそりと咲いて生きていく。
それって、悪い生き方ではないと思います。
「自分は自分だ」と言うのは、独りでも楽しく生きていくということかもしれませんね。
そのようなことを言ってはダメですよ。
そのようなことを言えば周りから嫌われてますます自信を無くしますよ。
悪いことを言わないことによって自信をつけてくださいね。
質問者からのお礼
【願誉浄史 先生】
お返事いただきありがとうございます。先日は
冷静さを欠いてしまい申し訳ありませんでした。
ですが、それほど私は傷ついていたのです。
仮にお不動様が、私に「愛ゆえの叱咤」をすると
しましょう。それでも、「障害者である」という
だけで「こいつは甘える」という決めつけは
しないはずです。このような決めつけは無明です。
「障害者か。それで?」とまず聞き、「障害だから、私は
こうする」という答えによって、「くじけず続けろ」
または「そのような考え方は身を亡ぼす。やめろ」と
言うと思います。
そのお寺は本山の別院、かつ、発言者は「信徒部長」
という法務の中枢に携わる人物なので、本山にファクシミリを
送信し、是正を求めました。いくらでも、お寺の方向性を
転換することができてしまうのを危惧したためです。
さて、今回のお話に対するお礼です。つつましく、穏やかに。
礼節を保ち、清潔に。その先生も、
「障がいを負っている人たちに対しては、当然普通の人は
違和感を抱くわけだが、普通に勉強している、ないしは
知っている人は、『ああ、この人はこういう障がいか』と
理解してくれる」
とおっしゃっています。
現代は、ご理解ご協力を賜る機会も随分増えました。
小学生や中学生程度のお子さんは、実際に絡まれる機会も
多いので(年頃の子たちはかわいいので絡まれやすい)、
怖がる子もいます。しかし、大人の方々は、私がお願いすると
席を譲ってくださったり、お願いしなくても、ヘルプマークを
見ると先にバスやエレベーターに乗せてくださったり
します。
これも、私の戒名が示すような、私の日ごろの行いによって
蓄えられた、チェレンコフ光ではなく金剛石の輝きのおかげ
でしょうか。
「この人は明るく輝いていて、すてきだ」
と思ってくださっているのでしょうか。
【聖章 先生】
お返事いただき、ありがとうございます。
やっぱりダメですよね。わかってるんです。わかってるん
ですけど、ムラムラしてきて言っちゃいます。
先日、道端でアウアウやってる知的障害の男性に、ここに
書けないような汚い言葉を浴びせました。私の後ろを歩いて
いた女性が、驚いて固まっていました。
願誉先生へのお礼にも記述しましたが、今は、お願いすれば
優先席を譲ってくださる方が多いです。お願いしなくても、
エレベーターやバスに先に乗せてくださったり、さりげなく
見守ってくださる方が多いです。
お店に入って拒否されることもありません、それどころか
「これサービス品です。よければどうぞ」ということもあります。
私の主治医は、
「家庭のせいだ。リケブツさんのおじいちゃんおばあちゃんが
リケブツさんに『障害者は害悪』と刷り込み、リケブツさんの
障害が分かったときにリケブツさんに罵詈雑言を浴びせたせい
で、リケブツさんは、他の障害者に乱暴をしたり、暴言を
吐いたり、過度に健常者からの視線を気にしてしまうよう
気持ちになっている」
と言われました。
お盆が終わり、お彼岸が来ます。祖父母も死後受戒して葬式を
やったので、(しかも院居士・院大姉号)今頃、阿弥陀様の
お膝元で菩薩様です。
近所のお寺のお坊さんに話したら、
「君のおじいちゃんおばあちゃんは生前意地悪だったかも
しれない。でも今は、極楽浄土で仏になって、生前の行いを
悔いて、君を心配しているよ」
と言われました。
あんな育ちじゃなければ…私はこんな気持ちにならなくて
済んだかもしれません。
障害も自分の一部として受け入れ、自分より弱い障害者に
手を差し伸べ、傲慢な障害者からは冷静にスッと距離を取り、
A型作業所で明るく働いていたかもしれません。デプログラ
ミングは困難です。
私は、視野を広げるために行動しなければならないのかも
しれません。幸い、我が家の近所にB型の喫茶店があります。
そこに客として通って、コーヒーでも飲もうと思います。
区役所には、障害者がメインで働くカフェやパン屋も
あります。
先日Uber eatsを利用したら、聴覚障がいの人が、
きれいな商品を届けてくれました。
一度こういった人と関わってみたら、みんな一生懸命
文句も言わず働いている姿を見ました。パンやコーヒーも
おいしく、サービスも丁寧で、心が清められた気がしました。
ですが、心は部屋や庭と同じ。定期的に掃除しないと
すぐに汚れてしまいます。
定期的に、区役所や近所の作業所のカフェに行ってみます。
駅前で障害者怒鳴り飛ばした
のくだり、今読み返していて、
よく警察来なかったなって
思います…