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娘婿に愛情が持てない

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5年前に完全二世帯住宅で娘夫婦と暮らしています。
4年前にあまりにだらしない生活で見かねて娘に注意しました。4人で話し合うことになり、婿に「汚いと思わなかったら掃除はしないし、外食を減らす気もない。あなた達の思うようにならない」と言われました。「今後は、娘に直接話さない全て自分を通すこと」とも言われました。
婿は子供を望んでないようですし、そういう生活事態ないようです。結婚2年目くらいに聞きました。
私たち夫婦にとってかけがえがない一人娘ですのに、今後の関係が心配です。
3年前に婿から私に「よく生きていますね。僕なら生きていられない」と言われました。死ねということでしょうか?
怖さ憎しみさえ感じてしまいます。
ここ数年間、娘夫婦はネットゲームにはまっているようで、娘の健康状態精神的な面が特に心配です。
娘には、兄弟も子供もおりませんので、先では無縁になるのか気がかりです。
これから先、私たち家族はどうなるのか不安なことばかりです。
どのような気持ちで生活したらいいでしょうか。家族は、会話と愛情でつながるべきだと思いますが。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたはあなたの人生を歩んでください。

森のちいさなくまさんへ こんにちは。

娘夫婦のことで悩んでいるのですね。
可愛い一人娘さんだから、心配しているのでしょうが、もう大人です。ほっておきましょう。
血がつながっていても、あなたと娘さんの人生は違うのです。もし娘さんが助けを求めてきたら叱って居力してあげればいいのです。娘夫婦に干渉してはいけません。

それよりも自分の生活を充実した生き方にしましょう。夫婦と一緒に充実していますか?旅でもいいし、スポーツ趣味でもいい。残りの人生を一杯楽しみましょう。娘夫婦を気にかけている時間などもったいないです。孫が欲しいのであれば、娘夫婦に期待するのではなく、地域の子どもたちや子ども施設のボランティアに出かけましょう。たくさんの子どもたちがボランティアのあなたに慕っててくれるでしょう。

同居だから娘のこと娘婿のことが気になってしかたないのでしょうが、あなたの人生を充実してください。近くにいるだけで見守っていられるのですから、安心じゃないですか。それ以上は干渉しないことです。どんなことでも相手が求めない限り干渉しない。それこそが姑の極意です。合掌

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★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email;kongozaji@renge.net(気軽にメールしてね!)  直通電話:090-6041-0193(最初はショートメールで) ※※※※※※※※※※※※ 山寺の小さな金剛座寺は10月23日に襲った台風21号で、大変な被害を被りました。大規模な斜面の崩落で客殿が倒壊の危機に陥っています。人生は何が起こるかわかりません。復興に向けて20年努力してきましたが、またリセットになるとは思いませんでした。でもあきらめません。仏さまの教えは「一切皆苦」苦難をなくすことではありません。苦難は必ずきます。それを乗り越える心を作ることが、御仏さまの教えなのです。  ハスノハに訪れる皆さん。私と一緒に人生の苦難に正面から立ち向かい、乗り越えていきましょう。仏さまと共にならば、必ずできます。合掌 ※※※※※※※※※※※※ Email;kongozaji@renge.net 在家から天台宗僧侶になりました。田舎のお寺だからできる新しいお寺ライフを試みて活動しています。特技は手話で現在某大学の非常勤講師で初歩の手話講義をしています。NPO手話技能検定協会理事の役職を頂いて手話学習の普及に努めております。社会貢献として保護司のお役を通して社会更生のお手伝いをしております。 どうぞ伊勢にお越しの際は遊びにお立ち寄りください。また活動は三重だけでなく、埼玉・東京・神奈川などの首都圏、または車でいけるところはどこでも出張で活動しています。仏事のことなら気軽にご連絡ご相談ください。お寺には宿坊もありますので、心のリフレッシュをされたいのであれば、いつでもお泊りくださいね。 私と一緒に、お寺の復興を手伝ってくれる方を募集しています。私とお友達になってください。そして伊勢の山寺をあなたの第二のふるさとにしてください。 ●お葬式や法要、納骨をお受けしております。 エリアは三重・中部・近畿から東京・埼玉・神奈川まで、車でいけるところはどこでも走り回っております。どうぞご相談ください。  (メールが有難いですが、直通電話 090-6041-0193 でもお受けします。なかなか出られないので着信を残してください。またはSNSでご連絡くだされば折り返し電話します。なお電話での悩み相談は10分と決めておりますのでご了承願います) ※もし少しでも回答がお力になれましたら、その感謝のお気持ちを、ご本尊如意輪観世音菩薩さまへのご志納(布施行)でお願いします。ハスノハ活動ができるお寺の維持活動に使わせて頂きます。 ゆうちょ銀行100010-67608891 名義コンゴウザジ 百五銀行多気支店(普)221446 名義シュウ.コンゴウザジ 檀信徒・弟子になって一緒に仏教ライフを楽しみませんか?(檀信徒費志納年1万円) 仏教を人生に活かして楽しみましょう。合掌 

娘からの独立

昨日60代の女性とこのような話がありました。
「女の子っていうのは、小学生頃から生意気になってねえ。全然可愛くないのよ。(笑)」
娘を二人持つ私としてはショッキングな言葉でした。(^<^)
申し上げたいことは、親って悲しいものよねぇ、ということです。
せっかくあれだけ面倒をみて育ててきたのに、それかい、オイオイ。(泣)
お気持ち、お察し申し上げます。一緒に泣いてあげましょう。オイオイ(ToT)
さて、自分の子供って、ついつい「自分の」を、付けちゃうものです。
もちろん、「自分の子」であることには変わりないのですが、自分「の」、自分「の」…の、「の」の所有意識がつよくなってしまうのです。
私自身「の」ものであるかのように錯覚してしまうのが親子関係の縛りです。
20歳超えたらもう大人。
個人の意思を尊重し、放っておいてあげることです。本人が懲りる他ありません。
ぶっちゃけ、本人にとってそれは問題になっていないのです。
責めるわけではないので、ああ、世の中の母親というものはそういうものよね、という程度に聞いてください。
娘婿さんが「私を通してくれ」と言ったのは、おそらくお嬢さんからすれば、ちょっと時々、お母さんが干渉的に感じていたのだと思います。その不満を旦那さんに軽い愚痴としてこぼしていたのかもしれません。それを真に受けた娘婿さんは、お嬢さんを愛し、守る立場として母親に対して一矢報いたつもりなのでしょう。(言っちゃいかんことでしょうが(笑))まぁ、それも現代家庭事情ではありがちなこと。
わが娘、自分「の」娘、という「の」意識をちょっと床の間に置いてきましょう。え。床の間がない?それも現代建築事情の一つです。
私も子を持つ親として、同じ目線で申し上げるのですが、親というものは本当に自分の子供が気になって気になってしょうがない。
ですが、愛情のマフラーで首を閉めたら相手は苦しいのです。
見守っているつもりが干渉になってしまうことがあります。
心配しているつもりが、本人の自信を奪っていることがあります。
「お母さん、もう、自由にさせてよ」という心の声を聞いてあげてください。
お嬢さんの方から、お母さんに会いたいと思わせるようにすることが、親の姿勢というものです。
お互い親離れ、子離れの時期なのです。
距離を置いた方がお互いシバラレが無くなるので、メリットもあります。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

早速のご回答を頂きありがとうございました。 主人のおかげで健康に生活できていることに感謝を忘れず生きていきたいと思います。
徐々に気持ちを変えていけたらと思います。
これからは娘に執着するのではなく自分たちが世の中の人の為に何ができるのか、それが人生の課題です。

丹下覚元ご住職
ご解答を頂きありがとうございました。
何度も読ませて頂いているうちに、涙が止まらなくなってしまいました。
私が、愛情だと思いながら娘を縛っていたんでしょうか?
娘が結婚してからも、自分「の」娘という気持ちが 強いのは確かだと思います。
主人は、父親にしてはあっさりとした考えをしているようです。
これからは娘が困った時のみで手出し口出しは止めようと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ