母が15年以上祈祷師にハマってます
お盆の帰省中、家族で長崎へ行った時に母が転倒し足指を骨折しました。
その後母は祈祷師に骨折の事を相談しに行きました。祈祷師は「あなたが長崎に行ったのはちょうどお盆。しかも原爆の日と近いから沢山霊がいる時期。転んだ時誰かに押された感覚無かった?」と母に言い、母は、はいと答えてその後お祓いしてもらったそうです。
また私が「休み明けから毎日頭痛や吐き気がする」と母に言ったのも骨折と一緒に相談され、母から連絡がありました。
頭痛は帰省中私1人で特攻資料館へ行った事が原因で「生きたかった人達が戦時中特攻で死んで、現代に生きる娘さん(私)が羨ましいと思って霊が娘さんに取り憑いた。市販の痛み止めは使わず病院行った方がいい」と言われたそうです。
他にも
・朝起きたら湯呑に白湯を入れて、白いレースのハンカチの上に置いて(長崎はキリスト教徒が多いから)
・「薬師如来様、頭痛を治してください。おんころころせんだりまとうぎそわか」と50~100回唱えると良い
と祈祷師に言われたそうで、母は先生の言う通りにしなさいと言いました。
私はその時「資料館へ行ったのは終戦記念日だったから人が多かった。何でピンポイントで私に取り憑くの?」と母に聞くと「私が毎日祈ってるし先生の所に通ってるから余計に取り憑かれやすいの。もう戦争関係の所に行かないで」と返されました。
私はこの祈祷師を一切信じてなく、一度も会った事ないです。
ちなみに母が祈祷師にハマる前は創〇信者でした。母が父に信者だとカミングアウトしたのが挙式1週間前で、父方親戚は猛反対したがお腹の子(私)を宗教に一切巻き込まない事を約束し結婚した話を最近知りました。
実際母は幼い私を宗教の会合や座談会に連れて行ってました。
昔から母は過干渉で考えを押し付けるので子供の頃からこんな家早く出たいと思ってました。
大学で一人暮らしを初めてやっと解放されたと思ったら最近また何かと先生、先生で時々御守りや御札を自宅に送られます。
こういう人間って何かに縋らないと生きていけない、自分で物事を決められないのでしょうか。
自分1人で勝手に信じるのは構わないけど、子供に押し付けるのは違うと思います。
幸い私の自宅と実家は飛行機の距離ですが、今回の帰省で母と私の価値観がこんなに違うんだと実感し実家と距離を置きたくなりました。
こんな事誰にも言えず苦しいです。
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ご質問ありがとうございます。
信仰は個人の自由ですからね、お母様の信仰を尊重しつつあなたはあなたの信仰や考えを大切にしたらいいのですよ。
足の指を骨折したら祈祷ではなく病院に行く方がいいですよね。頭痛と吐き気も病院に行く方がいいですよね。
お母様がそのようなものに頼りやすいのはもしかしたら昔に何か困ったり悩んだりした時に誰も助けてくれなかった辛い経験がそうさせるのかもしれませんね。
祈祷よりも専門家やあなたに相談してねと伝えてあげるくらいしかできないかな。
無理やり祈祷などをやめさせようとはせずに喧嘩にならないようにね。
盲信は煩悩の一種
迷信等への盲信は煩悩(悩み苦しみの原因となる感情等)の一種ですから、信仰を手放した方がお母さんも楽になるでしょうね。
しかし、他の人は知らない特別な知識や能力を提供してくれる祈祷や霊媒は、お母さん自身のプライドの煩悩を満たし、自己肯定感の支えになっている可能性があります。
私は昔、霊視ヒーリング系の宗教の施設を訪れたことがありますが、障害や病気を抱える人達がたくさん集っていました。
藁をもつかみたい(病気等を治したい)という面だけでない気がしました。
劣等感を、特別な能力者に庇護されるチームに所属することで埋め合わせしている人もいるでしょう。
お母さんも、特別な能力者とのつながりを絶たれることで、「私は他の人々とは違う」という優越感が消えてしまう可能性があります。
お母さんのプライドの煩悩が、特別な存在への執着につながっているとしたら、それを否定することはお母さんのプライドを破壊することになるので、お母さんは必死で拒もうとするでしょうね。
仏教的にはプライドや執着を手放した方が良いと教えますが、「私の存在を否定された!」という感じで噛みついてくる人もいます。
誰にでも欲・怒り・怠け・プライドの煩悩はありますので、「お互い様」の精神で、お母さんのプライドや執着心を慈悲の眼差しで理解してあげる方が、あなた自身の平安につながるかもしれません。
「昭和生まれは頑固だから仕方ない」とかで納得しても良いです。