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いつもいじめに遭い職を転々する悪循環から卒業したいです

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私は、幼い頃からいじめの対象になやりすく、40代になった今も職場でいじめの標的になっています。

幼い頃は、私は苗字が変わっている為、よく変なあだ名をつけられました。
その頃からもう、いじめられ癖がついたかの様です。

中学から高校時代は外見のこと、大人になってからは外見のことに加え、仕事の飲み込みが悪いことでいじめられます。

確かに私は、人一倍飲み込みが悪いですが、新人の頃は真面目にやっても失敗は付き物だとは思います。
また、自分で言うのも何ですが、真剣にやっていますし、悪いことをした覚えもありません。
それなのに、いつもいじめに遭うので、自信喪失そして人間不信になっています。

大人になってからのいじめがあまりに辛く、それが原因で仕事を転々としている状態です。
いつもいじめに負けまいと、仕事をしばらく続けますが、最後はストレスにより必ず体調を崩します。
当然、仕事を転々としたくありませんし、もういじめに遭わない様に一生懸命やろう!コミュニケーションも大切にしていこう!と思っていても、自分でも驚くくらいにどうしてもいつも裏目に出ます。

教えられたことをしても、後々その説明が間違えていたなんてことにもよく遭い、周りに誤解され嫌われることも多々あります。

ある職場では、いじめのことを上の人に訴えましたが、被害者の私が濡れ衣を着せられ、何を言っても分かってもらえず、結局私が辞めた経験すらあります。

転々としている仕事もいつも足を踏み入れると、実は畑違いだったということも多々あります。
恐らくこれは、金銭面においての焦りと、親に心配かけたくない思いが空回りしていることもあるとは思っています。

この、いじめと畑違いの場に行ってしまう悪循環から一刻も早く解放されたいです。
どうしたら、この悪循環から卒業できるでしょうか?

ちなみに、今の職場は今年のはじめから始めたばかりですが、既にいじめに遭い、そのストレスで体調を崩しているので、辞める方向で考えています。
本当は、この仕事こそ頑張りたかったですし続けたかったですが、もう限界です。
悔しくてたまりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当は自分いじめエネルギーが自分を一番イジメている

ぶっちゃけご本人様にお会いしませんとわかりませんが、なんか雰囲気としてにじみ出ちゃっている『なにか』があると思います。私も幼稚園時代いじめられていましたが、イジメられる人って、なにか出ちゃってるのです。表情とか、自信の無さとか、卑屈感とか、悲壮感とか。イジメやすいネガティブオーラがでちゃっているのです。私の場合はそうでしたねぇ。口からタマシイが抜け出ちゃっている感があると標的にされます。修行道場時代もそういう時は目を付けられました。
もののふではありませんが、カブトのひもが緩んでいたり、なんかだらしなかったりすると突っ込まれること確実です。キツイことを申し上げましたが、ぶっちゃけここまで言ってくれるのも坊さんしかいませんからお許し願いたいと思います。私はズケズケ言ってくれた方が問題解決の近道なので、ズケズケ言ってくれた方がチョイとダメージはあるものの、そこだけ直せばいいのですからズケズケ言います。ごめんなさい。
もし、もっとズケズケ言ってほしい場合お寺にお越しください。うちの坐禅会は、人によっては学校に行けなくなった方や、表に出られなくなっていた人や、人間関係が苦手だった方が、どういう訳だかケロリンと劇的ビフォーアフターがあります。私自身も昔そうでしたので、かゆい所にも手が届きます。
心の陰鬱な自分いじめオーラが除去されれば、晴れて胸張って生きていけます。
上記の文章をいじめられたとか、攻撃されたとか、重たいと感じませんでしたか?
実はそこが私の狙いでした。
その気持ちがあなたに生じているということは、あなたは自分いじめエネルギーが❝つおい❞だけです。それを無くしに、お寺の日曜参禅会にズケズケ言われに来てみてください。美味しいもんでも食べに来るつもりで。すぐにケロリンしますよ。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

違う意味で強くなってはいかがでしょう?

根本的な事柄や心の持ちようについては諸兄がすでに述べて下さっているので、娑婆的な事柄でお話させていただきます。

私も似たところがあるのですが、質問者様は何か資格はお持ちですか?
いっそ雇われじゃない生き方を模索してみるのも一つの手ではないでしょうか。

何か一つ独立も視野に入れられるような強い資格を取ってみるか、趣味で続けておられることがあれば、何かそれを人に教えたりと開業も視野に入れると選択肢が増えると思います。
あるいはネットで販売できるようなものとかetc・・・。

自分では「こんなことが?」というような事柄でも案外ニーズがあったりします。
ニッチな分野だと競合も少なくて独立独歩でいけたりします。

アントレで検索して自分に合った働き方を幅広く探すのも一つの手ではないでしょうか。

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一般家庭から真言宗のお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普通に企業で働いております。 求めに応じて衣を纏い法を説いてます。 https://youtu.be/-k4oRLFXGSM https://youtu.be/02VnGUcldkI https://youtu.be/AM8z5xl1f8E

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ