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生きる意味がわかりません

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有り難し有り難し 18

悩みを相談させてください。
PTSD、統合失調症、軽度知的障害を診断されています。
家庭環境はネグレクトで常にボロボロの服を着ていたりなど。
それが原因なのか小、中学校は酷いいじめにもあっていました。

上記の障害や環境があるからなのか、子供の頃から人間関係が苦手です。
馬鹿にされ「キチガイ」と言われ続け、人と仲良くなっても利用されて捨てられるか、見下される関係。
辛かった出来事はいくら書いてもキリがない程あります。

少し前から過去に辛い出来事がありすぎて
生きる意味が本当にわからなくなりました。
趣味などで忘れるように、というお答えは辞めて欲しいです。
自分なりに趣味に打ち込もうとしたり、気分転換をしてみたりと
死なない努力はずっとやってきました。

とにかく生きる気力も死ぬ気力もない状態が続いています。
どなたか助けてください。

2024年10月16日 0:43

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたに寄り添います

ご相談読ませていただきました。あなたが抱えている深い苦しみや痛みに心を寄せると、私もその重さに胸が締め付けられる思いです。これまでの辛い道のりを一人で歩んできたこと、数々の障害や困難に立ち向かってきたこと、その苦しみは言葉では尽くせません。

まず、あなたが何度も試みた「趣味に打ち込む」や「気分転換をする」といった方法でさえも、今の状態では無意味に感じてしまうほどの状況にあること。それは、真に心の深層に根付いた辛さがあるからだと感じます。どうか、その痛みを無理に隠そうとしないでください。あなたの感じていることが真実であり、その感情を受け入れることがまずは大切だと思います。

あなたの言われた通り、これまで「死なない努力」を続けてきたのですね。その言葉の中に、どれほどの辛さと戦ってきたか、そしてどれほど自分自身を守ろうとしてきたかが伝わってきます。その努力と辛さを経験してきた自分を、一度優しく受け止めてあげてください。

生きる意味が分からなくなること、それはとても自然なことだと感じます。特に、あなたのように深い辛さや苦しみを抱えてきた人にとっては、そのような感情が芽生えるのは当然のことかもしれません。無理に何か意味を見出そうとするのではなく、ただそのままの自分を受け入れることが、一つの救いになるかもしれません。

人間関係の辛さも、過去の出来事が影響しているのかもしれません。ネグレクトやいじめ、その中で受けた傷がいまだに心に深く残り、新たな関係を築くことが難しくしているのでしょう。そのような状況でも、あなたは今ここに存在し、相談してくださったこと、それ自体が大きな一歩だと思います。

この道のりは決して一人で歩むものではありません。少しずつでいいので、自身の感情を表に出す機会を作ることが大事かもしれません。誰か信頼できる人に打ち明ける、あるいは支援の手を借りることが、少しでも楽になる一歩になることを願っています。このhasunohaにいつでもお気持ちを綴って下さい。

この世界には、あなたを理解し、寄り添ってくれる存在が必ずいます。どうか、その存在があなたにとって一つの灯りとなり、少しでも心の重荷を軽くすることができますように。あなたの心が少しでも平穏に近づくことを、心からお祈りしています。合掌

2024年10月16日 6:31
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有り難し
おきもち

個別相談可能
仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せるのかを常に考えます。 資格:日本メンタル協会認定メンタルスペシャリスト。JADP認定心理カウンセラー
平日19:00から21:00に受付ます。

それでも今日の出来事は新しいお友達、今はあたらしいささやき。

誰もあなたと代わって差し上げることはできないのだけれども、何かお力になれることがあったらして差し上げたいと思います。
まず私だったら、私があなただったらの立場で考えてみます。
つぶやいて、自分に言い聞かせるようによんでみてください。
(._.)親は選べない。家庭は選べない。
それは誰もがみんな同じ。同じなのでそこでまず75億人の仲間になろう。なろうよ。ああ、みんな親は選べないのか、と。それはみんな同じなのね。そしてたまたまざんねんだけれども、うちの親、家庭はネグレクト家庭であったかもしれない。だけど、私はわたし。親とは環境も体も活動も友達も別々。私は私の世代。だから、家庭に縛られ過ぎないように、今後は我が家は我が家でも、出家的な精神で自立のきもちでいきる。天にも地にも私という存在は私しかいないはずだから、家庭に所属していても家庭のたまたま恵まれなかった嫌なことに私の心まで支配されないように、自由な花を咲かせる気持ちで独立自立の精神を持ちます。
PTSD,統合失調症、軽度知的障害、お医者さんはそれぞれお持ちのデータで私をそのように診断するであろうことはおおよそ推察がつきます。なりたくてなったんじゃないし、過去のあまり恵まれていない家庭環境からそういう状態になってしまうのは当然だと思うようにします。ですが、それは当然、必然。嫌なことが続けば心は荒んでいくのは当然。病名にあまりしばられず今日の幸せで私をラベル、ラップ、デコろう。
私を悪く言う可哀そうな人たち。私はそういう響きは好きじゃない。嫌だ、という確かな感覚はちゃんと残ってる。だれがバカにされたり、ののしられたり、見下されたり、幸せになれない言葉を言われて嬉しい人がこの世の中に存在するものでしょうか。可哀そうな人たち。
だから、私は彼らの仲間には所属しない。別に望んでそんな風になったわけじゃないし、家庭も選べない。恵まれた環境ではなかったかもしれないけど私はつよくありたい。私や他人を踏みつけて優位性を保ちたいような弱い人間には私はなりたくはない。75億人の人間のファミリーや今日これから出会うこととは友達だけれども、ああいうことをする人たちとは関わらない。
私には心地よい心の在り方がある。刺激にならないやわらか、ソフト、あたたか、やさしいこと心もそういうことを望んでいるところがある。そういうことを探して生きていきたい。

2024年10月16日 6:58
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答本当にありがとうございます。
今までは障害を理由にしてはいけないと思い頑張ってきたので少し救われた気がします。
少しは障害があるから仕方ないとあえて思うようにします。

そしてお二方の回答を何度も読ませて頂き
自分の今までの事で根元がかなり良くないんだな、と思う反面
私は他の人より苦労しすぎてるのかと何となく思っていたので
やっぱりそうなのかな、というショックがあるのも事実です。

今の私の精神的状況ではショックの方がやや強いですが
療養をしっかりし、前に進めたらと思います。

ありがとうございました

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