hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

過去の罪ですごく苦しい回答受付中

回答数回答 1
有り難し有り難し 1

自分は、過去に親を謗った五逆罪と仏教を謗った謗法罪を犯しました。

ですがその後阿弥陀仏の救いを知り、一時期は救われました。
ですが大乗仏教は、お釈迦様の入滅後にできた物と知りました。

なのでもし阿弥陀仏様の救いがなければ自分の業によって地獄に落ちます。
家族だって落ちてしまうかもしれません。

それがどうしても嫌なのです。
テーラワーダ仏教では五逆罪や謗法罪を作った場合、善行によって罪を軽減できるだけで地獄に行くのは回避できないと教えがあるようです。(間違っていたらすみません)

ですがそもそもお釈迦様は死後の事は何も言わなかったや、言ったが細かく言ったわけではないなど、どれか正解か分からず混乱してます。

せっかく阿弥陀仏の救いに出会えたのに素直に信じない自分は本当に愚かだと思います。
ですがもし救いがなかった場合が怖いのです。将来地獄に落ちるのなら今幸せになっても意味がないと、自分では思っています。

どうかこの苦しみを取り除いていただけないでしょうか
将来地獄に落ちるかもしれないという恐怖や不安を。

もしお釈迦様がこのような者に対して説いているお言葉があれば教えていただきたいです。
何度も同じような質問すみません。

2024年11月26日 22:15

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

世間の懺悔と正伝の仏法における懺悔とはまるで異なるものです。
仏教でいう懺悔というものは人間の一念心を完全に断ち切ることなのです。
あなたがそもそも自分は五逆罪だ、罪深い人間だァと思い始めたのもそもそもの一念心が始まりのはずでしょう。テーラワーダも派によっては人間は汚れているような思い込みをさせるところもあるようですが、そもそも自分が汚れているとか、そんな風に思う必要などあるのでしょうか?どうして今日の天気一つにしても人間の思い方がまるで付着していないのに人は思いを優先するのか。世界に仏さまの日めくり、秒めくりカレンダーがあるとしたらきっとめくる毎にいつも清らかであるはずでしょう。いつまでもお前は罪深い人間だァなどと裁かれなければならないのですか?地獄に落ちる、陥るということもそのような思い方を自分がすることによって自らの心を縛って苦しめてまさに生き地獄に自分で追いつめている訳でしょう。
誰がそのように考えているのでしょうか?
誰からその様に習ったのでしょうか?
いつからその様に思うようになったのでしょうか?
そして、そういう風に考えて心を苦しめているのは、どこで、いつ起こっているのでしょうか?
みんな自分が毎回、そこで、今やっていること一念心に過ぎません。
その一念心の根源を知る。
この世のものごとというものは、いつでもどこでも誰の上でもいつでもフレッシュです。いまだ誰もお手つきをしていません。過去の状態を認めて、掴んで、固定的に眺める者、アタマの上で観念的に眺める者は、今のフレッシュな現実を観ることをせずして、自分の頭の中で考えて掴んでいる妄想の方を優先させますから、いつまでたっても固定的な見解から脱せないのです。
阿弥陀様も、上座部仏教も、正伝の仏法も、大乗仏教も、どれも仏の教えに違いはありません。それを私的な見解でこうではないだろうか?と思い誤る事こそが内なる地獄心理の誕生なのです。人間というこの生命体もいつも真実のすくいを最初からあらわして、示してくれています。
諸念は一念に過ぎません。
その一念の正体をきちんと見届けて、思いや考えをはなれた無垢清浄の事実に目を向けて、自分の負の思いから影響を受けることのない心を会得することで人は救われるのです。
今、ここ、その事、その事象。そこにはまだあなたの負の思いのお手つきはありません。いつも清らかな姿をしています。

2024年11月27日 1:00
{{count}}
有り難し
おきもち

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ