亡くなった日をなぜ命日と言うのですか
今日は(12/8)父の命日です
もう亡くなって丸8年です
あちらの世界でも頑張り屋の父は沢山の修行を積んでいると思います
でもなぜ亡くなった日が命の日なんですか?
命が消えた日だからですか?
どうぞ無知な私に教えてください
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
寿命のことを「命」といいます。
拝読させていただきました。
普遍される命日を認識されている人びとは、単に亡くなった日を"命日"と呼ぶことに対して意義など考えもしないことでしょう。
ねこじゃらパンダさんのご質問はとても生命感を考えておられることから、良いご質問と感じます。
元々、ご察知の通り「漢字」は日本の文字ではないですよね。中国から輸入された文字が漢字です。
日本語では音読みと訓読みが一般的な認識でしょう。
しかし『命日』というものも本来は日本語ではないのです。
文献は忘れましたが、命日とは漢語であります。
『命』とは昔、寿命のことを命としていました。仏教では寿命のことを「定命(じょうみょう)」ということが多いです。
ですから、寿命を終えた日ということで『命日』が根源的な考え方が適切と私自身は思っております。
一応、大学院文学部ですので漢文に関しても多少の自信をもってご返答をしておきます。
また、いろいろな把捉の仕方により命日をどのように認識するのかは異議がある事とも思います。
参考程度に^_^
合掌
命日とは
室町時代には命日は「忌日」と呼ばれていました。忌み嫌うと使うように人が亡くなる事は「忌」だったわけですが。それが、念仏を唱える宗派にやって「命過日」になりました。理由は亡くなった方はお成仏して仏様になるからです。つまり死を忌み嫌う必要はないと考えるのです。
法源師のおっしゃるように命=寿です。寿はいのちがあるからめでたいので寿なのです。
話しを戻すと命過日とはあなたがおっしゃるように命が過ぎた日と言う事でもあります。命過日の過が取れて命日になりました。
そして命日は亡くなった日と言うだけではなく亡くなった方とのご縁を再確認する日なのです。命日を迎える事は故人との繋がりを再確認して改めて感謝の気持ちを持つ機会でもあります。
また、命日を通じて、私たちは「無常」という仏教の教えを実感します。人の命には限りがあり、すべてのものが変化し続けるという無常の教えは、私たちに今の一瞬一瞬を大切に生きることの重要性を教えてくれます。
どうか。あなたも亡くなった頑張り屋のお父様の事を思い出して感謝の気持ちで手を合わせて下さい。合掌
名前の見方を大切にする
ねこじゃらパンダさん、僧侶泣かせの質問ありがとうございます
故人様のこと思い偲び、ご供養ください
ご自愛ください
命日と死日、亡日と並べたとき、命日の方が直接的で無く死を連想し難くありませんか?
命は生命ではなくて、〇〇命で神道で尊い人に授ける敬称として使われてきました そこで故人様が仏となりましたので、死亡日→仏になった日→命日となったそうですね
※諸説あり
因みに12月8日はお釈迦様が悟りを開いた日になります 尊いですね 太平洋戦争開戦の日でもありますが…平和を考える日でもあります
私からは以上です