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人生とはなんでしょうか。

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自分がどういう人間になりたいのか、どういう人生を送りたいのか、よく分かりません。
仏教のことは全く詳しくないのですが、どういう人間になれれば生きる甲斐があるのでしょうか。人生で何を目指せばいいのでしょうか。
ざっくりした質問ですみません。

2025年5月19日 15:25

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

存在しているだけで宝の山だ (*'▽')✨⛰

人生とかいうものがどこかにあるんじゃないと思ってください。
この身がすでに願ってもいないけれども個々に存在している事。
この人のルールなき事実が。あなたの今の真実・現実です。
多くの人々は外に、他方に、いつの日か別の日に、人生というイメージ、概念を思い描くでしょう。それはその時点ではじめの一歩目を違う方向へ進めてしまっています。🐾
この自分自身のいま、そこ、その事に目を向けてみましょう。
今後の人生と言い、これからの人生と言い、何をするにも見るにも聞くにもこの本体が永遠に中心になるはずのです。あなたの命のアドレス@は「そこ」にあるのですヨ。ですが、今、振り返ればアタマで他方、他日を思い描いてばかりっだったのではないでしょうか?
だから人生に手ごたえを感じないのです。
なぜか。
自分のところにないことを扱っているからです。
人生を思い描く、人生とはなにか?と問う自己。
どういう人間になれば生きる甲斐があるのか?と問う、この自分自身を見ていない、親しくしていないからなのです。
スマホにしてもPCにしても、快適な設定は大事でしょう。
コンディションも大事です。
パフォーマンスも大事です。
正しく機能するかどうか。
この身心も同じです。
正しく機能しているかどうか。
正しく、見て、聞いて、感じて、正しく明晰で聡明なまなざしができているかどうか?
そこが人生において一番大事なのです。
そこが正しく機能している人は、生きているだけで丸儲け、生きてるだけで宝の山なのです。

仏教とは、仏教を学ぶという視点で学ぶよりもお釈迦様や祖師と同じように、この自分自身、自己の働き「そのもの」を学ぶことこそ大事なのです。
今日、今、そこ、それ、これ、今。
あなたが求めておられることは人生における生きがい、自分がどうあればよいか?という大切な問いです。
どうか、見つめるべきポイントをぼやかさないようにしてください。
人間は、人生は、いつでもどこでも、これから何をするのも見るのも聞くのも、この自己、自分自身が正しく機能していることが大切なのです。

だからこそ、仏道修行、坐禅も念仏も仏典を学ぶことも、みなこの自己の身心に親しむことであり、自分の中で見失われている元々の静寂で穏やかで聡明で自由な心、内なるあなた独自の仏の心に巡り合う必要があるのです。
そこが明らかになれば手応えが得られるでしょう。

2025年5月26日 13:58
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたが楽しいと感じることは何でしょうか。
もしなければそれを探すことをとりあえずの目標にするのもいいかもしれませんね。

2025年5月19日 16:06
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

人生って何でしょうか

拝読させて頂きました。
あなたがどの様な人生を送りたいかと悩んでいるのですね。また人生とは何だろうかと迷っているのですね。詳細なあなたのことは全くわからないですけれども、あなたが人生に迷い悩んでいることは伝わってきます。お気持ち心よりお察しします。

そうですね…、人生とは何でしょうね?何を目指して生きるのがいいのでしょうね?何を生き甲斐として人生を生きればいいのでしょうね?
じっくりと読んで考えてもなかなかその答えは難しいですよね。そして一言で言い表わすことはできないと思います。

改めて人生も命も時間もそれぞれに二つと同じものはない、かけがえのない大切なものですからね。

先ずは自分の人生も命も時間も二度とないかけがえのない大切なものであり、あまたの巡り合わせの中で与えられた恵まれた大切なものであることをしっかりと受けとめていくことが大切なのではないかと思います。

そこから与えられた人生や命や時間は自分にとってどうなのか?
自分の人生で何が大切なのか?
人生によって何を得ることができるのか?
自分の人生をかけるに値することは何なのか?
その人生でどんな素晴らしい出会いやご縁が恵まれるのか?

おそらくあなたのこれからの人生の中で、あなたの年齢や時期によっても生きている環境や状態によって大きく変貌を遂げていくことでしょう。
どうかあわてることなく答えを急ぐことなくじっくりとこれからお向き合いなさって下さいね。

あなたがかけがえのない素晴らしい人生を大切なご縁に恵まれて健やかに充実なさって生きていかれます様に、あなたにとって人生の価値を見出され心から豊かに幸せに生き抜いていかれます様に、切に祈っております。
そしてあなたを心より応援させて頂きます。

またあなたのお考え教えて下さいね、あなたを心よりお待ちしてます。

2025年5月19日 18:15
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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