自己嫌悪のループが辛い
現在うつ病で学校を休んでいます。
毎日サプリと薬と漢方を飲んでいて、それでも自己嫌悪や自責の念が蘇ってしまう時が頻繁にあって、一度そこに入ってしまうとそのループから抜け出せなくて心と頭のエネルギーが一気に削られます。
そうじゃない時にでも常にそういった自己認識が自然と馴染んでいるみたいで、滞在意識のレベルで自分のことを嫌っているんじゃないか?といった具合です。
周りの人に対して常に気を遣ってばかりの他人軸で自分が無い、自分のその時の感情に流されてばかり、やらなくてもいいことを無駄に真剣にやって本当にやるべきことには手を付けないっていう空虚で不真面目な自分がいます。
こんな自分はダメでいい加減だと、軽蔑されるものなんだと思い込んでしまいます。
例えば自分の周りの人にもきっとそう感じられていて、実際にそんな感じの接し方をされたこともあるし、軽蔑じゃなくても失望されていたり「不完全で可哀想な人」だとか何かしら思われていそうで消えたくなります。
人に迷惑をかけたくなくて人からの期待に応えたくて一生懸命自分のダメだと思う所を治そうとすることって、考えてみればそれって結局ただの外面だけの取り繕いで誤魔化してるだけに過ぎなくて、周りの承認が一番欲しいだけなんですよね。
周りにも自分にも甘えているんです。
そもそも治そうとしている場所がズレていたりしているし、そのうちいつの間にか自分じゃ自覚出来ないようなボロもたくさん出てきていて、周りの評価を気にするばかりで空っぽな自分の本性も周りから薄々見抜かれていって「あの人はああいう人だから」的な感じで哀れに思われているんだと思います。
それでも本当は哀れに思われるまでのことも成し遂げていないし、そう思われるような資格も自分にはもはや最初からないんだろうとさえ思います。
そして更に今もこうしてここで承認を求めていて、それが貰えないと自信を持てない自分も嫌になっていきます。
本音を隠してしまえば信用されない空気のような人間になってしまって、逆に口を開けば暗くてネガティブな人間でどっちにしろ周りのお荷物になってしまいます。
本当に自分の全てが惨めで周りに対して迷惑をかけ続けるだけの、まさにブラックホールのような存在に感じてしまって心が苦しいです。
文章のほとんどが長々と自分語りになってしまいましたが、どなたか助言をください。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頼ることも、甘えることも、自分を大切にする生き方です。
それの何がいけないの? 良いじゃない。完璧じゃない自分も、愛おしいのよ。
嫌われる勇気も大事にしてほしいわ。周りの評価、周りに好かれて 周りに合わせて、期待に応える自分って、しんどいでしょ。周りが描く「私」にならなきゃって、もがいてしまうのではないですか。それは、周りにとっての私であって、本当の自分じゃないのよね。
私もね、怠けることばかりだし、甘えた気持ちもあるし、(あ〜面倒だな)なんて考えることもあるのよ。きっと周りの期待に応えられずに、ガッカリさせてしまうかもしれないわね。でも、これも私だし、私にとっては精一杯。
そもそも、迷惑もかけず、誰の世話にもならず、生きている人なんていないのよ。みんな、誰かのおかげさまで、こうして生きていられるのです。
頼ることも、甘えることも、自分を大切にする生き方ですし、周りに感謝しながら生きるって素敵なことですよ。
坐禅をおすすめします
うつ病の治療に関しては、専門医の指示に従うことをおすすめします。
私からは、マイナス思考から抜け出せない、一つの考えに囚われてしまう、というあなたへの一般的なアドバイスとして、坐禅をおすすめします。
米国のIT企業などで、マインドフルネス(坐禅と瞑想、マインドフルネスは細かい部分では異なりますが、その効能はほぼ同じと考えていいと思います)がしばらく前から大ブームとなり、オフィスに専用の部屋まで設けられているというのを聞いたことがあるかと思われます。
頭の中から雑念を追い払うスキルを習得するのに、これほど有効な手段はありません(ただし、ある程度の訓練が必要となります)。
曹洞宗の僧侶である私は、毎朝必ず一定時間、自分の部屋で坐禅を組むようにしています。
短時間でもいいので、あなたもぜひ習慣化されることをおすすめします。
坐禅や瞑想、マインドフルネスに関する本は数多く出版されています。
具体的な書名はここでは挙げませんが、最初に何冊か目を通した方がよいかもしれません。
もし、近所のお寺などで坐禅会が開かれているのなら、それに参加するのもいいでしょう。
現在学校を休まれて辛い毎日を送られているかもしれませんが、後になって、あのときしっかり休んだから、自信に満ちた今の自分があるんだと思い返せるようになることを願っています。
坐禅とは自分の心のナイスドライビング方法
私があなたであればこう考えるという話をします。
私が今の頭であなたの立場になったとしたら、まず、負の思考回路、ネガティブな思考を止めることから始めるぞ、と志します。
ネガティブな思考とは、ネガティブな思考のブレーキをかけるだけでいいんです。
一日の中で脳内には楽しいシャボン玉(思い)ネガティブなシャボン玉も浮かんできますが、その中でネガティブなシャボン玉だけ限定でブレーキをかけて割ってしまえば、その後残るのはポジティブな事や、学びとなることばかりです。
よって、まずネガティブな思考が沸いたなと気づいたら、すぐに自分の為にもそれを慎みます。
なぜか。
心の状態を良くするお薬を飲んだところで、肝心かなめの自分の心の安全運転ができていないままクスリを飲んでも、根本が治らない、治療にならないからです。
だから、昔の人たちは悩んで苦しんでどうしていいかわからなくなった時、坐禅を志したわけです。
坐禅は一見すると何もしていないようにも見えますが、あれは脳を「考えファーストから事実ファーストにシフトチェンジして、体感されていること、モノやコトとの接触を通じて、自分を救う働きに目を向けているのです。事実というもの、体感されること、出会うコト、出会うものというのは、第一次接触時点においては何こちら側のネガティブな思いなんてまっっっ…たく付いてない!ということをよく見つめるのです。(今みつめてみよう)そうすることで、どんな思いが沸いたとしても自分のものにならなくなる。ただ思いのシャボン玉がポンと沸くだけで、自分のものではない状態で浮かんでいるだけ。だから手を付けないでいる姿なのです。
すると、誰も相手にしてくれないシャボン玉は静かに消えていく。心が自分の心の中で作った思いに影響を受けなくなれるのです。
自分の心の中で作られた思いから影響を受けなくなっていくと、さらにはその思いの一念、シャボン玉、思いのロウソクの火が小さくなって、ま…ったく影響を受けなくなった静寂なところが開かれる。さらには、それを眺める自分の能動意識も滅却されると心が釈尊が会得された人間の心の究極の静まり涅槃に到れるのです。
端からみると坊さんの坐禅や瞑想めいたものは意味なさそーに思えるでしょう。いいえ。人生が変わる功徳があるのです。なぜか。
あなたが何かする。その瞬時に自分流の思いを付け足すことが無くなるからです。
「空っぽに感じる自分」とどう向き合うか
あなたが丁寧に書いてくださったお気持ちを読みながら、胸が痛みました。ここまで率直に自分を語ること自体が、すでに大きな勇気であり、心の中の「光」を手放していない証です。
①「自己否定」の渦は“心の病”の症状
うつ病の時は、心に重りがついたように「自分はダメだ」と感じやすくなります。これは性格の弱さではなく、病の症状そのものです。仏教でいう「無明(むみょう)」の状態に近く、正しいものが正しく見えにくくなる心の働きです。ですから、今あなたが感じている自己嫌悪・自責感は“真実”ではなく“病の声”である、とまず理解してあげてください。
②「他人軸」から「息をするだけでよい私」へ
真言宗では「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう)」と説きます。あなたの内にも、他人にも、等しく仏性があります。誰かの期待に応えたり、欠点を直したりする前に、ただ「今ここにいる私」がすでに尊い存在であることを思い出してほしいのです。
③「迷惑をかけない人」より「生きている人」でよい
私たちは皆、誰かに支えられ、誰かに迷惑をかけながら生きています。僧侶も例外ではありません。だからこそ「迷惑をかけない完全な私」を目指す必要はありません。「今、ここに息をしている私」で十分に価値があるのです。
④「承認を求める心」を責めない
承認欲求は人間の自然な営みです。むしろそれがあるからこそ、つながりを求め、成長しようとするのです。求めることを「甘え」だと責めるより、「これは私の心の自然な声」と受け止めてあげてください。仏教でいう「慈悲」は、まず自分に向けるところから始まります。
⑤ まとめ
いま感じている「自己嫌悪・空虚感」は病の症状であり、あなたの本質ではない。
どんなにネガティブな感情でも、それを持つあなた自身は尊い。
他人に迷惑をかけない完璧さではなく、ただ「生きている私」で十分。
この小さな実践が、やがて「自分が嫌いな自分」から「そのままの自分を抱きしめる自分」への一歩になります。今のあなたはすでに、その道を歩み始めています。
合掌
質問者からのお礼
先月自分の相談にお答えしてくれたお坊さんの方々はありがとうございます。今はマインドフルネスを試してみたりしています!
まだ集中出来なかったりはしますが、これからもぼちぼちとやってみて様子を見ていこうと思います😊お返事が遅くなってしまいすみません💦



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
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(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
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