お祈りと謝罪について。
お祈りと謝罪についてお伺いしたいです。8年程前に家で飼ってる犬が子犬を3匹出産しました。その内の1匹を私の不注意で踏みつけて殺してしまいました。それからはその子の骨壷と位牌に毎日謝ってます。
一年程前から、お祈りする前とお祈り中、お祈り後の自分ルールが段々できてきて、それを守らないと謝罪が伝わってない様な気がして何度もやり直すというのを毎日繰り返しています。大体2時間から3時間くらい掛かります。ちょっと異常だなと思い、ネット調べてみると強迫性障害という、小さい事が気になるという病気でした。病院で診察もしてもらい薬も飲みましたが、あまり効果は無くどんどん悪化している様で、普段の生活でも今まで普通に出来ていた事が出来なくなってきました。毎日辛くて、翌日の事を考えると、明日のお祈りはどれくらい掛かるんだろう‥と憂鬱になり、先の事を考える事すら嫌になってきました。
飼ってる犬も私がお祈りをしている間は嫌な様で、離れた所にいたり犬用ハウスの中に隠れたりして、とてもストレスを掛けてしまってると思います。でも、1つでも自分ルールが守れて無かったらやり直してしまいます。
治療が必要な事は分かってるのですが、供養とはどうしたらいいのか、と最近思う様になり、こちらのサイトを見つけました。
私がした事は謝った事で許されるものでは無いのは分かっていますが、毎日辛くて限界です。
私はどうすればいいでしょうか?
供養とはどうすればいいでしょうか?
分かりにくい説明ですいませんが、どうかよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私たちは他の命を頂いて自分の命を育てているのです。
りょーこさん、こんにちは。
誤って殺してしまったワンちゃんのことが罪悪感になっているのですね。
私たちは意図的でなくとも、たくさんの命を奪って生きています。
蚊やハエなど、害虫であれば意図的にたくさん殺してしまっています。アリは意図的でなくとも踏みつぶして殺してしまっています。微生物であればもっと何万の命を奪っているでしょう。
一つの命の固体を尊重するのであれば、動物でも虫でも微生物でも命の尊さは同じのはずです。しかし私たちが生きる上で、食べ物以外でも、必要な殺生だけでなく無駄な殺生としてもたくさんの命を奪ってしまっているのです。私たちは殺生を通して生きている現実があります。しかしそれは人間以前に生き物として自然の摂理なのです。だからこそたくさんの命の犠牲の上になりたっている自分の命に感謝しなければなりません。
そして犠牲になった命に報いるためにも、生き生きとした人生の生き方が大切なのです。周りに注意しない反省は大切ですが、持つのは罪悪感ではなく犠牲にしてしまった命への感謝なのです。そして犠牲の命に報いるために、仏さまの願う生き生きした人生の生き方なのです。
りよーこさんも一つの命です。間違った罪悪感で、今、自分の命をも蝕んでいます。亡くなった赤ちゃん犬には十分謝ったのですから、今度は、そのワンちゃんたちにたくさんの愛情を注ぎましょう。それこそが本当の供養ですよ。合掌
供養はやり方ではなく心です
ワンちゃんの赤ちゃんを死なせてしまった。つらいですね。
祈りの形はいろいろあると思いますが、心がこもっていなければ意味がありません。
逆に言えば、心がこもっていれば、多少間違えても大丈夫だということです。
手順を間違えてもあまり気にせず。大丈夫。あなたの気持ちはちゃんと伝わっています。きっと許してくれていますよ。
強迫については以前、似たような問いがあり、私が答えたものがあるので貼っておきます。
http://hasunoha.jp/questions/6276
強迫には多少は付き合うくらいの気持ちでいましょう。で、気分のいい日は、ちょっと間違いがあっても「今日はこれでよし!」って打ち切ってみるように挑戦してみよう。お薬を飲んでいるとの事なので、お薬の用法用量をよく守り、先生のアドバイスに従いましょう。だんだんお祈りが短くなってくると良いですね。
焦らずにね。ゆっくりゆっくりです。
質問者からのお礼
御二方ありがとうございました。
少し肩の力が抜けて、心がちょっと軽くなった様な気がします。
これからは、もう少し明るく前を向いていけそうな気がします。
質問して本当に良かったです。
本当にありがとうございました。